その音は本当に気持ちのいい音?

少し音楽理論を知っている方向けのお話になります。

楽しむ音楽を作る上で欠かす事が出来なハーモニー(コード)。
ダイアトニックコードは基本となるコードで、それにテンション、借用和音、パッシングディミニッシュなど様々な手法を用いて古今の楽曲は作られています。

ところで、それらはどうして綺麗だと思えるんでしょう?

理論的に説明が付く部分はあるとして、感覚的には説明が付いているのかが今回のお話です。


正しい=気持ちいい?

曲を作る上で上記のような手法を理論で解明したのが音楽理論。理論上は正しい響きをもたらす事が出来ます。それが100正しい答えかというと、商業音楽ならそう言えるかもしれません。しかし自分自身がそれを良いと感じられるかというと、100の保証はありません。音楽理論の正しさは「その理論上では100正しい」だからです。

その音を聞いて気持ちいいと感じれるなら、その感性を大事にしてください。ただ「理論的な正しさが成立している事」から来る正しい=気持ちいいという感覚に飲み込まれているような感覚を覚えるのであれば、それもまた大事な感性です。どちらも大切なのは「聞いて気持ちいい音」と思えるかどうかです。


認められている≠絶対の正しさ

初めに書くと、自分は良いと感じたけど他の人が聞くとそう受け止めてもらえない事はよくあります。

人は何を基準に良し悪しを図っているか。これは複雑ですが、同時にシンプルでもあります。その人の気分、気持ち、これまでの経験、価値観から生まれてくるからです。簡単に雑にまとめると勝手なもんです(笑)

自分と全く同じ人間でないとその良さは100%伝わりません。人によっては理解できず伝わらないこともあります。

これは逆も然りで、自分が良くないと感じた事が他の人からは良いと感じる事もあります。受け手の解釈一つで、その良さは100%以上になる事もあります。

つまり商用の音楽となると、より多くの人に良いと感じてもらう為に様々な仕掛けや工夫を施します。メジャーな音楽には必ずと言っていいほど仕掛けがあります。そしてその工夫は「必ずしも自分が良いと思った感覚を用いているとは言い切れない」というのも時にはあります。

時に半音でぶつかった音が美しく聞こえる時もあればチューニングが少しズレた音、楽器の正しい奏法ではないない音、何気ないノイズ、埋もれた音さえ美しい音だと感じる時があります。しかしこれらはあくまで「自分にとって」の話です

大衆の感じる美が必ずしも自分にとっても美であるとは限らないですから。


自分の感性≒人々の感性

僕は正直に書くとメジャーの音楽を聞いて、それが良いか分からない時が多々あります。この曲はどう楽しんだらいいんだろう、なんでこの展開にしたんだろう、この歌詞にしたんだろう…など。

そうなると、きっとこの仕掛けが大衆向けに工夫されたものだろうと仮定して飲み込むことになります。さながら「評判のジュースを飲んでみたけど好みじゃなかった」と言った具合です。

そして逆に、自分が良いと感じた音や展開が「いや、これは違う」と否定された事もあります。これで大衆向けの曲と作るとなると、大変なのが「自分が良いと思う感覚を少なからず否定する必要がある」という事です。

そんな人はどうすればいいのかと作曲家をしていてしばらく悩んでいましたが、僕は「その曲は誰の為に書くのか」を頭に置いて考えることで以下のように整理できました。

・自分の為であれば好きに作るべき
・他人の為であれば整えるべき
・楽しんで欲しい、聞いて欲しいなら工夫するべき

先の感性の話に戻ると、もし自分の良いと思う感性が一般受けしないならこの考えからスタートします。


良い作品≠楽しいと受け入れられる物

悲しいお話と少し希望のある話をします。

残念ながら自分で楽しいと感じて作った作品は必ずしも他の人も楽しめるという保証はありません。理論を守ったから良い作品になるという保証もありません。DTM講師をしてきて100人以上見てきて尚そう思います。

SNSで評価が沢山付いた作品は必ずしも良いから付いたのではありません。不特定多数の人が見聞きするキッカケが有り、仕組みが有り、それらが狙ったのではなく偶然だったとしても要素が重なった産物です。

それを良しとして楽しめるのであれば近い作品は作れるかもしれません。楽しめなかったのであれば、そこに自分の感性が活きる場所は少ないでしょう。


ただ自分が本気で向き合って、感性を掘り下げて見つけ出した答えとも言える作品には絶対に似た感性の人に突き刺さるフックが生まれます。

生徒を見てきて、一般的に正しい作品を作れたとしても、作った本人が良いと思える作品と言えるかはイコールではありませんでした。

講師として、作曲家として

僕はDTMの講師として生徒へ接する時に大事にしている考えがあります。

「その人が良いと思える音に出会ったなら、それは大事に扱う。分からない時はとりあえず理論に従ってみせて、違ったなら向き合い、一緒に探す」

DTMは作曲する以上に多くの可能性を持っています。手法も多いです。
その人が求める音楽の鱗片と出会うと、その音を本気で楽しみ、欲をむき出しにし、貪欲に作り求めます。それに何度も向き合い作り上げていきます。

僕はその瞬間に立ち会うとすごく嬉しくなりますし、同時に自分では出会えない作品が生まれる事を心から楽しみします。


もちろん、自分の為ではなく他人の為に作るのであれば理論等で縛りながら教えます(笑)



その上でいつも自分にも問うようにしてます。

その音は気持ちのいい音ですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?