盛る音楽作りとJ-pop

最近の音楽は〜…と言うとそろそろ自分がおじさんの世代に入ったのかな…時代に合わなくなったのかな…などと思ったり。ただ自分の感性を信じるのもクリエイターに重要なこと。感じた違和感や考えは記録としてアウトプットしていきたいと思います。おじさんの戯言だと捉えてもらってもいいです(

数ヶ月前まで、仕事の一つで新旧ヒットソングや新曲のカラオケ製作をしてました。昭和から平成、そして令和の楽曲を見聞きしてきた上でここ数年の楽曲に対して以下の3点が楽しめないなぁと感じてます。

・必要以上の合唱
・過度な転調
・本当に必要なのか分からないパート
・特に深い意味のない歌詞

ここからはそれぞれについて、自分の知りうる範囲でのお話になります。合わないと思った人はその時点でページを閉じる事をオススメします。

また、全ての音楽を否定するわけでもないです。楽しむ形は人それぞれです。今の曲で楽しいと感じる楽曲もありました。ただクリエイターとして、改めて見直す点としても言えるお話かなと思い今回記事にします。


・必要以上の合唱

歌って大きく分けてもメイン、サブ(ハモリ)、その他コーラスぐらいかなと。ジャンルによっては例えばゴスペルとかだとまた少し間隔が違いますが、必要な歌唱パートにまとめられてると思うんです。

じゃあこのタイトルの何が問題なのかと言うと、必要以上の人数が同じパートを歌い過ぎじゃないか?という話です。特にアイドル系によく見かけるのですが、例えば10人が同じメロディを歌ったとして誰がどの声かは判別は難しいと思います。でも大人数が皆で同じ事を共有し合奏することは日本の一つの美学だと思います。学校の合唱とかそうですよね。

ただそれを音楽に持ってきたとして、大人数の合唱の魅力は同じ事を共有するのではなく個々の揺らぎも混じり合う事で独特の塊が生まれるという点と思うんです。現代のピッチ補正やレコーディング技術の進歩でより正しいピッチ、タイミングに仕上げることは可能になりました。ただ同時に、それは先に書いた合唱の魅力を失う事で成立していると感じてます。

正しい音程は確かに大事ですが、海外の音楽文化に影響され過ぎじゃないかと時々感じますしピッチ警察みたいな人も増えたなと。音楽を楽しむものとして見れば正しく歌う、演奏することは必ずしも楽しく歌う、演奏する事ではないと僕は思ってます。


・情報量過多

最近の曲だとOfficial髭男dismのCry Babyが分かりやすいのですが、この曲サビのコード進行はミスタッチが生んだコード進行が面白いと感じ、それを混ぜて再構築することで作られたものだと聞きました。確かにサビの進行、初めて聞いた時の感想は「エゲツない」です(笑)この発見自体は凄い事だと思います。

ただ序盤からもコード進行の特異な感覚は滲み出ていて、それが髭男の魅力の一つでもあるのですが途中から聴いてて疲れてくるんですよね。作曲を生業にしてるとそう言う視線で聴いてしまう事もあり、当然その場合疲れます。しかし今回の曲はそう意識せずに聴いてても疲れてしまいました。
(いや、これがただのおじさん化ならそれまでの話なんですが)

この原因が何なのかなーと考えてみた時に、思い当たる原因として曲の流れについて行けないと感じたからかなと。今までにないコード進行やこれまで要所にだけ含んでいた複雑なコード進行が常用されているような状態にあると感じたんですね。

本来アクセントになる要素が頻繁に来ると刺激が強いとも言えますが、逆に言えば飽きも起こしやすいかなと。展開について行けねーなーと。若い時なら堪らなかったのかもしれませんが。

余談ですがジャズの場合メロディラインがそこまで複雑じゃないので聴けるなーと思います。


・本当に必要なのか分からないパート

「ところで何でストリングス入ってるんですか?」と唐突に聞かれて応える事は出来ますか?勿論既存の多くの曲は作者の意図でその世界観に合わせたアレンジを行うので何かしら意味があるのは確実です。

ただ時々「このパートは本当にいるのか?」と疑う時があります。僕もたまに見直すのですが、何となく無意識に入れてるパートは本当に必要なのかと考えます。Mixですごく聞こえ辛くなってるパート、他の楽器と被って隠れてるパート。本当にその楽器がその曲に必要な理由は常々考えていきたいですね。


・特に深い意味のない歌詞

これは語弊があるかもしれないので先に書き足すと、意味のない歌詞でもキャッチーだったり語呂が良かったりで印象に残るならいいと思います。

ただ時々そこまで言葉数増やさなくてもいいのでは?と感じる曲を見かけます。特に言葉数の多い曲が増えた今尚更ですね。

例えばhip-hopやR&Bなどのラップならそう言う文化なので分かります。
ボカロ曲も人が歌えないようなボリュームが一つの魅力なので分かります。
そのボカロ曲の文化があって歌ってみたなどで息継ぎのポイントが難しい曲が生まれてきたのも分かるのですが、ここまで来るとぶっちゃけ歌詞聞いてないです。

それっぽい意味と言葉、語呂が良いだけで深い意味はない言葉の組み合わせをつらつらと聞いてると何を聞かされてるんだろう?と戸惑ってしまうんです。難しい歌を歌いこなしてるのを楽しむ形しかない…?


・難しい=美学?

歌ってみた文化の視点から見ると、歌うのが難しい曲を歌えるというのは一つのステータスな所はあると思います。

個人的に難易度が高い曲と感じる要素
・息継ぎのポイントが少ない
・噛みそうな言葉の羅列
・言葉数の多い歌詞
・リズムやメロディの緩急が激しい
・純粋に音程が高い

これらを歌いこなしていて確かに凄いなーと思う曲は存在する。ただ繰り返し聞きたいかと言われればそうでもない。街中で路上パフォーマンスを見かけて「おぉー」ってなる感覚に近い。

その技術を評価するのであれば良い曲なのかもしれない、ただ自分はその点だけでは音楽を楽しめず音楽を聴いている感覚的にはラップを聞いているのに近い。しかしラップにしてはポップスの要素が混ざり過ぎているように感じる。例えばコード進行の複雑さやメロディーラインのパンチが強過ぎるなど。


・「盛る新しさ」は分かりやすく、ただし冷めやすい

複数のジャンルが複合して新しい音楽が生まれる事はこれまで何年も繰り返し行われてきた事だしクリエイターなら一つの常套手段でもある。

90年代から現代のJ-pop音楽を見直してみると、メロディやコードの複雑さ、言葉数の多さが際立つ。より新しい、より楽しい音楽を作っていく上で色々な試行錯誤が行われていくのは当然だがそれにしても盛り過ぎじゃないかと感じてしまう。一部の人が歌って楽しむ音楽、アーティストへの期待や好みがある上じゃないと楽しめない音楽。それらの尖った音楽に馴染めないのが息苦しいなと感じる。

物作りのにおいて足す事は簡単に高揚感や新しさを演出する事ができる。ただし、足した以上に別の新しさや新鮮さを感じさせる要素がないと継続する事は難しい。DTMの生徒でサビがパワー負けした感じになる時はA,Bメロが同様に拘り過ぎてそれを超えるサビが作れなくなった場合をよく見かける。


・足し算、引き算、整理

足し算は比較的簡単にできる。間を埋めるように足すのが基本。ただし足し過ぎると元の良さを見失いやすい。
逆に引き算は難しい。下手に間引き過ぎると物足りなさやバランスを失う可能性が出てくる。

例えば楽曲で言葉数の多い曲でも「その言葉数が無いと成立しない曲」「その言葉数が入ってくる事で整うバランス」が成立しているものは感心する。伴奏も言葉数を活かすようにリズムやフレーズを調整する必要がある。

逆に音数が少ない音楽の場合、本当に必要な音が活きるラインまで間引く必要がある。別に間引かなくてもいいと思う人もいるかもしれないが、「無い」事に「有」を感じ取れるサウンドの魅力はまた一味違う。


・終わりに「音楽への向き合い方」

結局は作りたい音楽に対して素直にいられるのが一番楽しいと思う。作っていて楽しいと思える感覚は不思議と音楽にも乗っかってくる。

そういう意味ではきっと自分はJ-popとは縁が薄いんだろう。ただ教える立場として思う事は、作りたい世界観をより色濃く、より楽しく作る方法を模索する時に今回自分が悩んだ話が少しでも活かせれたらなと思います。

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