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「あひる」って言葉の不思議

水辺に棲む鳥の種類の一つに家鴨(あひる)がいる。私はある時、その「あひる」という音に疑問を持った。いつの事かは覚えていない。

中学校の国語の授業で、歴史的仮名遣いというのを教わった。歴史的仮名遣いと現代仮名遣いの違いをいろは歌に出てくる語彙で示すと、次のようなものだ。
・匂(にほ)へど → 匂(にお)えど
・今日(けふ) → 今日(きょう)
・酔(ゑ)ひ → 酔(え)い
そう、語中にあるハ行の音はワ行に変わるというルールがあるのだ。但し、複合語でそれぞれの語頭に当たる部分についてはその限りではない。古文単語「あらまほし」を「あらまおし」と読まないのも、語源を遡ると「あら/ま/く/ほし」となって、それぞれ区切った中では語頭に当たるため、音読するときもそのまま「あらまほし」と読むのだそうだ。
仮に、「あひる」という言葉が古文にもあったなら、現代仮名遣いなら「あいる」となっているはずだ。私の疑問はそういうものだった。

この疑問を思い付いた当時はネットもそこまで万能ではなく、調べ方も悪かったのだろう、知りたい答えは出てこなかった。それから数年して、ふと思い立ち調べてみたことがある。歴史的仮名遣いのハ行が現代仮名遣いのワ行に変わることは「ハ行転呼」といい、それにはいくつか例外があるらしかった。外来語のように、現代仮名遣いを使うようになって普及した言葉もそうだが、和語にもいくつか例外がある。「あひる」はその例外に該当するようだ。他にも、屠(ほふ)る、やはり、武士(もののふ)のように、語中にありつつもハ行の音をそのまま読む単語というのはいくつかある。「屠る」なんて、ゲームのテイルズオブディスティニー2でしか聞いた事が無かったが、こんな機会にまた聞くことになろうとは、当時の私も思わなかったことだろう。

学びのきっかけとはどこに転がっているか分からない。ふとした「何故?」を突き詰めて調べると、意外な事実を発見できることもある。気付いていないだけで、こんなちょっとした不思議はきっと世の中にありふれているのだと思う。それに気付いても見過ごすか、掬い上げるかは自身に委ねられている。