M1 2023 自身の審査への持論を述べる

今年もM1の季節がやってきた。開催日はクリスマスイブの12月24日。
残り数日となる訳だが、24日が待ち遠しい。
毎年M1とKOCを観ては採点を付けている私だが、今年もそのスタイルは変わらない。そこで今年は大会前に自身の採点基準をあえて言語化しておこうと考える。

〇 審査の軸
私の審査の軸は明確であり、その特徴は2点に大別される。
1点目は、「相対審査」という点。
具体化すると、トップバッターに付けた点数を基準として、以後のコンビの点数を上下にレンジさせていくということだ。
2点目は、「序列化」いう点。
具体化すると、10組のコンビを明確に順位付けするということだ。すなわち、極力同じ点数を付けることを避ける。

この2点の特徴にはそれぞれ持論を根拠とした理由がある。
私は審査員として一番大事なことは、「順位付け」にあると考えている。なぜなら、審査員はその年のチャンピオンを決めるために存在しているから。審査員が皆に同じ点数を付けてしまえばそこに順位は生まれない。皆面白いのはもちろんなのだが、それを踏まえてなおそこに順位を付けることが大切なのだ。
さあ、その「順位付け」を徹底的にするためには、私の審査の特徴として挙げた「相対審査」と「序列化」が必須になるのだ。この二つは共に深い関連性を帯びている。相互に必要不可欠な関係にあるのだ。
多くの審査員は「絶対審査」を行っている。すなわち、自身のお笑いに対するものさしがあり、それぞれのネタを自身の物差しで測って点数を決めているのだ。その中で採点項目を用意してそれぞれに点数を付けるスタイルの審査員もいる。ただそうした審査法では、どうしても同じ点数のコンビがいくつか生まれてしまったり、コンビごとにあまり点数差を付けられなくなってしまうという問題が起こり得る。
そこで「相対審査」なのだ。「相対審査」はトップバッターの点数を基準としてそことの差異を点数化していく方法だ。これはそもそも全コンビに明確な序列をつけるための手法でもある。「相対審査」は同時に「序列化」でもあるのだ。

〇 審査基準
私の審査基準は極めてシンプル。すなわち、どれだけ面白いかである。審査項目はそれのみだ。面白いという要素に、技術やテンポ、演技力、間の使い方、構成力、新奇性全てが内包されているのだ。技術があるから面白い、演技力があるから面白い。ネタの構成が優れているから面白い。全ての要素は面白いに繋がるはずであるし、面白いにつながらないのであればそれは無為と化すだろう。審査員で面白さ点、技術点、構成点という風に分けている方もいるが、そもそも分ける必要などあるだろうか。面白くはないけど、技術があれば点数が高くなるのか。いや、それはないだろう。
ならばすべてシンプルに考えよう。どれだけ面白かったかを素直に数値化しよう。それが一番合理的だ。

〇 審査員への警鐘
ここで少し、審査員に対する注文を付けたいと思う。
まず、順番を言い訳にするなということだ。よく聞くのが、「順番がかわいそうだった。」、「トップバッターだから難しい。」といったセリフである。個人的にはこの発言をした審査員は、審査員失格とまで言えると思う。各コンビごとに審査するだけなのに、なぜ順番が関係してくるのか。そうした発想は一ミリも理解できないというのが本音である。
また、ウケを審査材料にするなということだ。観客のウケは審査に影響してはならない。ウケを数値化するだけなら誰でも審査員になれる。何のために審査員としてその席に座っているのか。自身の判断で、自身の価値観でぜひとも審査してもらいたいものだ。
さらに、予習をするな、先入観を持ち込むなということだ。たまに、決勝に出るコンビのユーチューブを観て予習してきたという審査員がいたりする。有り得ない。それでは公平性が失われるだろうと。極力予備知識も何も持たず、その時の4分のみを観て審査をするべきなのである。

以上が私の審査に対する持論である。

今年は敗者復活も含め、全コンビの採点をするつもりである。開催日が待ち遠しいばかりだ。

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