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【ネタバレ注意】シン・エヴァの抽象度~シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を見た感想

映画の感想文というのは、格好良く書こうとすればするほど、作品を仲介役として自分の「解釈の深さ」や「知識自慢」のようになってしまうので、あまり長々と書きたくないのだが賛否両論ある『大作:エヴァンゲリオン』ということで少し語らせてもらう。

<エヴァ・ストーリー>引きこもりの天才の先生(目がないサングラスのおっさん)が、SEXの相性が抜群に良かった奥さんを若くして失くし、天才性が覚醒(暴発)。「人類なんとか計画」を妄想&行動に移し、へんてこな使徒を作って地球人を半分殺して全人類がチョー!迷惑をこうむる話。副作用として発生する「日常の大切さ」「自然の大事さ」「魂の浄化」などあるが、まあマンガにありがちな「後付け」である。
<感想・想定>
ずっと見てきたコアファン:自分の成長を鏡にできる傑作!!
今回だけ観たライトな人々:はあ、そうですか…。なんか凄そうですね。

「大作の完結編」にありがちなパターンである無難さとエヴァらしらの拮抗が実に見てとれた。が、所詮は資本主義のエンタメコンテンツであり、金儲けのための作品やな、というのが率直な感想である。

上記エンタメ作品の経済要素も加味しながら、以下からは内容と作品メカニズムと流行った背景について私見をエヴァらしく混在して述べる。

まず、内容としては「何かよくわからんけどスゲー!感」を巧妙に使いこなした作品だということ。つまり、難解な物理用語や専門っぽい創作ワードを多用し、意味不明にしているのは意図的である。よく風邪薬とかにも「※※配合!」といって※※はよくわからんけど「凄そう」と思わせる手法。そして、そこに飽きさせない、疑問を抱かせないために美女の比率を上げ、微妙なエロシーンを絶妙なタイミングで入れている。中高生の諸君は軽く半勃起しただろうし「シンジは誰とくっつくのか?」という恋愛要素を盛り込んでいる。

同列的に走らせたストーリーも、聖書ちっく?に複雑かつ、意味不明にしている。で、なんやかんやで戦いでボカーン!ドカーン!と戦いと破壊が起こり、世の中のカオスと自然や魂の浄化などの「再生への希望」を描いた。この部分で「日常的で平和なことは大事なんだ!幸せなんだ!」と思った人も多いかもしれない。

しかし、ストーリーに関してのコアの部分は、内容を意味不明にすることで読者、視聴者に「それぞれの解釈と解答」を持たせて「私はこう思ったがどうよ?」という「情報(感想)共有現象」と「理解不能部分の謎解き・仮説立案」を狙っているところにある(このnoteも、その戦略にまんまと乗せられている・笑)。そして、それがそのまま口コミとなり、宣伝効果をもたらした。理解困難という危機感が壮大性にリンクし、奇しくもマーケティング戦略に乗ったパターン。この手法は、三振かホームランでヤマを張るタイプの戦略なのだが、その覚悟が見事にバックスクリーンに叩き込んだ結果となった。

以上がエヴァが流行った本質、核の部分であろう。

エヴァのキャラクターたちに、これといった必殺技はない。人間らしい「魂のスペック」での勝負。マーベル作品のようにキャラクター自体の魅力は分かり易くない。ただし、音楽やキャラクター関連の切り取り要素は多分にあって関連収益はそこそこ取れたと思われる。つまり、お前らが思っているほどエヴァの作者や制作陣営は天才ではなく、単なるアニメオタクの市場最適化である。もし、制作陣にジブリのような芯があれば、政治家や北朝鮮に金が流れるパチンコ台にすることはなかっただろう。

「嘘でも良いから楽しませてくれる」「何かよくわからんけどスゲー!」という「抽象度の勝負」に勝ったのが、エヴァが流行った本質の部分である。20年という長きに渡った伏線の回収を試みたのが今回の完結編ということなのだろう。個人的な結論でいえば「さまざまな作品の寄せ集め、複合体のような作品」で、いわゆる妖怪の「鵺(ぬえ)」のような作品であり、気持ち悪さもあった。

結論:エヴァは「ぬえ」であった。でも、20年くらい長きにわかって続けてきた「魂の重厚さ」は感じとることはできた。楽しませてくれてありがとう。次の作品も頑張って!

ちなみに、筆者はマリ(真希波・マリ・イラストリアス)派である。

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