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だんだん見えなくなっていく―白い杖の賢者

父、義朗、74歳。今日も静かに、小さく浮き立つ心を湛えて出かけていく。サングラスをかけ、中折れハットを粋にかぶり、白い杖を片手に―。

「お姉ちゃん、どうしよう。パパが失明するかもしれない」

電話口の妹の声が震えていた。
実家を離れて一人暮らしをしていた私の携帯に、久しぶりに家族からかかってきた電話だった。重大な事故にでもあったのかと、一気に心が波立ったが、そうではない。父が運転中に、前の車のバックナンバーを見たら歪んでいた。乱視になったのかと思って眼鏡屋に行ったら、病院をすすめられ、そこで「将来的には失明の可能性がある」と医者に言われたという。

「原因はわからないんだって」妹はいった。

もう一つの原因不明―私は思った。父は中学1年生の時、突然、右耳がほとんど聞こえなくなったという。そして、その原因もわかっていない。私が父の耳のことを知ったのは、割と大きくなってからだった。
「そっち側で話されてもよく聞こえないんだよ」
「え?」
「こっちの耳は、ほとんど聞こえないからよ」
さらっとそんな告白をされて、にわかには信じられなかった。それまで、なんで全然気がつかなかったのだろう。そのことを聞いてからも、「聞こえないの、どっちだっけ?」と父に聞くことがたびたびあった。ある時、父が「聞こえないのが右側で助かったよ。車を運転してる時に話が聞こえるから」と言ったのをきっかけに、聞こえないのは右側だと、忘れなくなった。

妹の声が泣声に変わる。
「パパがかわいそう」
「すぐにどうこうっていう話じゃないんでしょ?将来的に、もしかしたら、って話なんでしょ?」
「……うん」
「大丈夫。大丈夫だから。絶対、大丈夫だから」

電話を切った途端、いつもは私を名前で呼ぶ妹が、久しぶりに「お姉ちゃん」と呼んでいたことが胸に迫った。うっすらとした心細さを打ち消すように、「大丈夫、大丈夫」と自分の中心から声が聞こえた。

有効な治療法を求めて、いくつもの病院に行ったけれど、どの病院でも「治療の方法はない」と言われた。あきらめかけた時、父の姉が、眼科の名医を探し当てた。多くの著名人もお世話になっているというその病院で、2回の手術を受けた。父としては、その手術のおかげで進行が遅くなった実感がある、という。けれど、治ることも、進行が止まることもなかった。

妹の電話から20年ほどの月日がたった今、父は、障害者手帳2級である。

外出時に必ず持っていく、父の白い杖は、まるで磁石だ。
人ごみでは、磁石が反発するように、周りの人が父との間に一定の距離をつくってくれる。そして同時に、必要な助けや優しい心、新たな出会いを磁石のようにひきつけている。

目の不自由な人の命を守る、この白い杖は白杖(はくじょう)という。父がこれを持つようになるまでには、葛藤があったという。まったく見えないわけではない。できることなら、白杖を持たずに人生の最後までいけないものか。白杖を持つことは、自分が視覚障害者であると認め、宣言することでもある。そこには抵抗があった。大好きな運転は早くに諦め、健康な足腰と明晰な頭脳を持ちながらも、仕事を続けることは断念した。それでも、白杖を持つことは、なかなか決心がつかなかったという。

最終的に背中を押したのは、「人にぶつかるようになったこと」だった。はた目からは、目が不自由だとわからない。わからないから、周りの人が気を付けることはない。父がどんなに気を付けても避けられないことがある。さらには、もし何かがあった場合、目が不自由だと信じてもらえないかもしれない……。そんなことから、白杖を持つことを決心したのだ。

思い切って踏み出した、白杖との最初の一歩は、父の世界を変えた。

周りの人が、危なくないように歩いてくれる。「何かお手伝いすることはありますか?」と親切に声をかけてくれる。「ここが空いていますよ、とかよぉ、優しくされるよ。足腰は丈夫なんだけどな(笑)」
そして慣れない場所に行くときは、必ず友人の誰かが付き添ってくれる。

街の中は、歩くのに怖い思いをするところが、バリアが、まだまだ沢山ある! と言いながらも、いつもなんだか楽しげな父に、しょっちゅういろんな場所に出かけて行く理由を聞いてみた。
「いまのうちだと思ってるからだね。そのうち動けなくなるだろうから」
そんなこと、考えてたのか……。
「そういいながら、よく歩いてさらに足腰丈夫になっちゃうから、当分は動けるね」
私が言うと
「友達たちがな」そう言って、にやりと笑った。
「ひっど」私も笑った。
「まあ。でも、今後の課題は、“人に聞く”ってことだと思ってるんだ」

なるほど、気心の知れた友人と一緒なら、街で知らない人に電車の乗り場やトイレの場所を聞く必要はない。一人でも行かれるところを増やそうとしているわけね。これからまた、父の静かな挑戦が始まるのだな、そう思った。

子どものころの私にとって、父は、頭がよくてかっこよくて、面白くて、優しい、理想の男性だった。その父が障害者になった。父には予想外の人生かもしれない。けれど、片耳が聞こえないことを、あたり前のようにさらっと言った父は、だんだん見えなくなっていく恐怖や悲しみを口にしたことがない。それどころか、淡々と世界を広げているようにさえ見える。

「パパが仕事辞めたら、家に引きこもっちゃうんじゃないかなぁ……」仕事熱心で地域とのつながりが薄かった父に対する、私たち姉妹の心配をよそに、昼カラ(オケ)、バスツアー、友人達との旅行、朗読会、日本点字図書館、視覚障害者情報センター、その他、自分が行きたい様々な場所に、父は出かけていく。そして行く先々で、さりげなく人気者になっているのだ。

実家に帰った時、「お邪魔しまーす」「誰だ?」「千代だよ」が定番のあいさつになった。父は、これからさらに見えなくなっていくかもしれない。いまだに奇跡を願い、祈っている自分もいる。けれど、あの時、妹に言った言葉は間違っていなかったんだと、父をみていて思う。

「大丈夫。大丈夫だから。絶対、大丈夫だから」



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