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145DAY ‐日本一の国語おじさんの国語スキルを最大限に活かす神授業6(トマス福音書編)‐

 今回のリベラルアーツで読んだのは、現在福音書の主流であるマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネのもととなったといわれている聖書外伝の一つトマス福音書である。現在福音書を代表する四つのマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネは、各所に類似点が見られつつも明らかに違うところもあり、つまりこれはこれらの四つがそれぞれイエスの言葉を交えつつ幾つかの創作が盛り込まれているということである。(ちなみにマタイとルカは、Q資料と呼ばれるイエスの言行録を参考にして書かれたという説が有力視されている。しかしQ資料はあくまで仮説に過ぎないのだが、Q資料のようなイエスの言行録が古代に存在していたという事実がこのトマス福音書の発見によって実証された。)そしてこれら四福音書や数々の他の聖書物の教えに深くかかわったと言われているのが、このトマス福音書である。

 なぜこの聖書を読むことで人類の大半がキリストを信ずるに至ったのか、リベラルアーツを行っている自分含めメンバーはこれを紐解かねばならない。そのためにもこのトマス福音書はその答えを導き出す重要な手がかりになりえるであろう。

 まずトマス福音書とは、1945年にエジプト・ナグ・ハマディ地方で偶然発掘された「ナグ・ハマディ写本」と呼ばれるキリスト教文書の中にあった写本の一部である。この「ナグ・ハマディ写本」は、古代キリスト教および文化を知る上で「死海文書」等に次ぐ重要性かつ20世紀最大の考古学的発見として位置付けられている。「ナグ・ハマディ写本」は当時キリスト教の異端派としては最初かつ最大の勢力だったグノーシス主義の教えに関したものがすべてを占めており、発見されるまで異端であるグノーシス主義を批判した教会の神父の証言をもとにしか研究が進められてなかった同主義の研究を大きく飛躍させ、グノーシス派の教理などを批判的な教会の見地から離れて考察できるという点で多大な貢献を宗教界にもたらした。

 そしてこの「ナグ・ハマディ写本」はの研究によってグノーシス主義が現在の原理キリスト教正統派の形成に深くかかわっていることが明らかにされ、またQ資料の仮説の蓋然性を高めたことによってトマス福音書はキリスト教の原理主義の解明におおきく寄与する可能性を秘めた書物かつキリスト教グノーシス派の重要な聖典として位置づけられている。

 「はじめのあるところにおわりありき」

 「もしあなたが女から生まれなかったものを自分の目で見たのなら、ひれ伏し、拝むがよい。まさにその者こそ、我々の父である。」

 これはトマス福音書の一部である。トマス福音書は、イエス・キリストの奇跡などの創作性が盛り込まれた四福音書と異なり、あくまで言行録的な立場である。つまりマルコなどの四福音書は、これらのような言行録をもとに、よりイエスのすばらしさを伝えるために誇張した表現を盛り込みつつその素晴らしい教えを福音書に残したのであろう。事実トマス福音書の中にはヨハネでいう生まれつき盲目の人間を即座にで治したというような突拍子もない奇跡は書かれていない。したがってこのトマス福音書の言行録が、現在に四福音書に与えた影響は大きい。

 (明日に続く)

 しかしながら、トマス福音書は聖書上はあくまで外伝という立場におかれている。それはあくまでこのトマス福音書の主な考えであるグノーシス主義が、神などが常に善であるのは誤謬であるという、希望的かつ不確定的な奇跡といった考えを排除して現実的な世界のとらえ方をしているからである。それは勿論現在のキリスト教の倫理に反するものも含まれている。したがって今日までのキリスト教とは反した存在になることは否めない。また善の神と悪の神という二元論的な思想もグノーシス主義は持っており、イエスという一人の救世主を信じる宗教とはやはりかけ離れた存在であろう。そのため、今日におけるグノーシス主義のとらえ方は、あくまで元々キリスト教とは別の思想であると考えるのが多数派である。

 しかしやはりキリスト教と相反する存在であっても、このグノーシス主義の存在がキリスト教に深い影響を与えたことは疑いようがない。むしろこうしたキリスト教の教えと反する宗派が存在することによって、これらの宗派を異端であるとする理由を出し合い、それらの反論や比較を通じて今の聖書やキリストが成り立っていったのであろう。事実古代の聖エイレナイオスを筆頭に数々の神学者たちがグノーシス主義を対象に正統派を擁護する本をだし、残している。こうした競争の結果、グノーシス主義は正統派から逸れ、いまのキリスト教になっていったのだとおもう。

 したがってこのトマス福音書の功績は、キリストと相反するグノーシス主義の貴重な資料となっただけでなく、キリストと起源が違うグノーシス主義の存在によってキリストがいかに宗教として大成したかを紐解く文書であったことであると言えるだろう。

 

 



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