見出し画像

62DAY ‐日本一の国語おじさんの国語スキルを最大限に活かす神授業2(エピクロス編)‐

 やっとリベラルアーツについてのことを書こうと思う。

 今回は古代ギリシャ哲学者エピクロスの思想をまとめた「エピクロス」を読んだ。エピクロスが他のギリシャ哲学において最も違うところは、ソクラテスやプラトンなどと違い、ギリシアの没落や敗戦、そこにある苦しみを経験している点にある。その為、エピクロスは他の哲学者よりかはもっと人生における幸福とは何か、安らぎとは何かについて考察している。

 エピクロスは、現実におけるあらゆる物事を「煩わしさ」と説き、人生における幸福の最大を「快」であるとしている。しかしそれは肉体的な「快」ではなく精神的な「快」である。そしてその「快」におけるもっとも素晴らしいと呼べるものは常に自然からきていると説く。であるから人間は、現実の煩わしさから一転自然状態における生活のうちに精神的な「快」を求めることに人生を費やすべきであるというのがエピクロスにおける大まかな考えである。この考えの最も面白いのは、社会における普通の生活とは非常にかけ離れた生活に人生の幸福を見出している点にある。人間は誰でも社会において働く。しかしその中には喜びもあれば苦悩もある。であるから社会における生活よりかは、自然状態にある幸福を望むべきという非常に人類史から見れば後退的な思想に基づいている。

 一見ニートの働かない言い訳ような思想に見えるかもしれない。事実このような思想は、提唱されてから数世紀は快楽的主義ととらえられていた。しかしエピクロスは、ニートのように働きたくないといういわば肉体的な「快」よりも精神的幸福における「快」を追求していることは改めて抑えてほしい。つまり一見退廃的、後退的な思想に見えるエピクロスの考えは、普通社会における人間のありようを超越し、精神的な幸福における人間が到達すべき真のありように行きついた思想といえるのかもしれない。事実エピクロスは、肉体的な「快」はむしろ苦痛であると考えているからだ。

 エピクロスの考えは、本当に人間が行くべき道を暗示しているのかもしれない。

「我々が快楽を求めるのはほかでもない、快楽がないために苦痛を感じるからだ。快楽を求め、手に入れさえすればもはや苦痛を感じることはないのだから。」byエピクロス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?