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173DAY ‐日本一の国語おじさんの国語スキルを最大限に活かす神授業7(淮南子)‐

 久々のリベラルアーツ記事だ。最近論文みたいな文章が多く、人によってはあまり興味がないようなこともあるだろう。(古典とか相当マニアじゃないと好きになれないと思うし。)しかし、自分もブログを通して考えたことを発信していく身として、こうしたマニアックなことも趣味としてジャンジャン上げていきたい所存なのである。
 
 
 今回のリベラルアーツで読んだのは、紀元前140年ごろに古代中国で成立した思想書「淮南子」である。「淮南子」は、当時の中国各地から招かれた多数の賓客(所謂諸子百家)に命じて書かせた大量の論文を編纂した思想の百科辞典ともいうべき書物であり、多様な思想が織りなすその理論や芸文性は、後世の政治的側面にも多大な影響を与えた。
 
 「淮南子」は、当時即位したばかりであった青年皇帝武帝に対するテキスト的な役割を担おうとしていた。それは、漢という巨大王朝をまとめる上で必要だった、統一国家の理論を、諸子百家の多様な思想の一体化をもって構築させたものであり、それを青年皇帝武帝の今後の政治形態に反映させる狙いがあった。
 
 まあいわゆる、中国古今東西の思想を使って、武帝様の政治の道を教えようという試みだったのである。
 
 この「淮南子」に代表されるような、古今東西の諸子百家の思想を統一しようという試みは、秦の始皇帝による中国統一を目前に控えたころには既に存在していた。それを踏まえ、「淮南子」においては、道家思想における「道」を書物の軸におきつつ、需家、墨家思想の「事」を取り入れることで全体的な思想の統一を図っているのがこの書物における大きな特徴と言える。
 
 最終的に武帝は、この書のすすめる道家の対抗勢力であった需家による思想で中央集権的な政治の構築を促したため、結果的にこの「淮南子」の目論見は逸れてしまった。しかしながら上記にもあるようにこの書物の百科事典的な側面から垣間見えるその思想の汎用性、そしてこの書物における芸文性の評価によって、後世にもその名を遺した書物として知られている。

 いつもなら何か一つ書物の文章を入れるべきなのだが、この書物の性質上あまり特筆すべき文章が選びにくい。その代わりといっては何だが、「淮南子」に書かれたこの言葉を載せたいと思う。
 
「恐れおののいて、その日その日を慎みたまえ。人は山には躓かず、むしろアリ塚に躓くものだから。」
 
「そもそも禍いに遭うのは、人が自らそれを生ずるのであり、福がやって来るのは、人が自らそれを生み出すのである。」
 


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