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122DAY ‐日本一の国語おじさんの国語スキルを最大限に活かす神授業5(ヨハネ福音書編)‐

 昨日に続きリベラルアーツの振り返りだが、今回は「ヨハネ福音書」である。

 ヨハネ福音書は、世界宗教キリスト教の聖典である聖書の一部であり、聖書の内容を大きく二分する旧約聖書と新約聖書のうち新約聖書に属している。聖書は知っての通り世界で最も多言語に翻訳され発行された書物であり、3200もの言語に翻訳され、数十億部が全世界に存在するとまで言われる。この聖書を聖典とするのが、世界最大の宗教キリスト教であり、全世界に23億人以上の信者を有している。

 さてここで問題となるのが、何故この聖書にしるされた思想が今日23億人に上る信者を得ることに成功したのかである。これは聖書の中に書かれている有名な一節である。

 「イスラエルの子らは海の真ん中の乾いたところを進んだ。海は彼らのために右と左にうずたかくなった。こうして神はその日、イスラエルを敵から救った。こうしてイスラエルの民はみな神に服従し、そのしもべモーセのことを信じた。」

 まさに有名なモーセの海を割る話だが、ちょっと待て。誰がこんな話を信じるものか。現代社会でも海を割ってみたという事案は聞かないのに数千年前に海なんぞ割れるはずがない。こんな非現実的な話が盛りだくさんの聖書を地球上の23億人もの人間が信じているというのである。これはいったいどういうことなのだろう。

 ここで社会学者の橋爪大三郎さんの言葉を引用してみよう。

 「なぜアメリカだけ、こんなにキリスト教が盛んなのか、それは、アメリカ人の心にぽっかり、穴が空いているからだ。ぽっかり空いた、心の穴。それはアメリカ人が、移民だからだ。ヨーロッパでの生活とは違い、新天地アメリカでは、仲間もおらずすべて見知らぬ他人ばかり。さみしいのだ。

 その穴埋めがキリスト教だ。聖書を皆で読む。イエス・キリストの教えが昨日のことのようだ。イスラエルが約束の地を求めたように、われわれの約束の地はここだ。この様に勇気づけられる。」

 言われてみれば日本においてキリシタンが流行ったのも、戦国時代の浮浪者や難民が増加した時代のことだ。聖書の教えが、自分の苦しい環境によってできた穴を埋めてくれる。聖書の言葉が、その中に書かれている奇跡が、むしろ自分たちを勇気づけるのである。

 ここでヨハネ福音書を見てみる。

 「世界が生まれると、まずそこに言葉があった。言葉は神と共におられた。言葉は神であった。一切のものはこの言葉によってできた。言葉は命を持ち、この命が人の光であった。この光はいつも、暗闇の中に輝いている。しかし世の人々はこの光を理解しなかった。そこで一人の人がこの世にあらわれた。神から遣わされたのである。その名はヨハネ。彼は光ではなかった。ただ光についての証明をするために来たのだった。」

 ここでいうヨハネは、イエス・キリストの洗礼を授けた人物のことである。これを読んでどうだろう。まるでイエス・キリストが 言葉によってできた。というか神の存在自体が言葉という存在を前提としているかのように読める。聖書の「言葉」を読むことで自分の置かれた状況を緩和させる、神の言葉を聞くという行為は、このヨハネ福音書の一節からきているように思えるのである。

 このヨハネ福音書を読むことは、キリスト教の真髄を覗き見ることに他ならないし、キリシタンがどのような思想を信じて今日に至るのかを考察する重要なキーポイントとなるであろう。そろそろクリスマスも近づいてきたことだし、興味深く読み下げていきたい。

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