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土葬に関する本

「土葬の村」高橋繁行

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◼︎今の日本にも土葬が残ってた

火葬が当たり前の社会で育ってきた僕には土葬文化というものは、遠い過去か遠い国の、いずれにしても自分から隔たったものだと思っていた。

でも、時間も国も飛び越えることなく、「現代」の「日本」で土葬の文化が残ってるなんて知らなかった。

とはいえ、それも風前の灯で奈良県などの山村にわずかに残る程度で、しかもその村でも、生前に希望した人だけが土葬される。

◼︎土葬は野蛮?火葬が野蛮?

肉体を残したまま土に埋めるなんて、野蛮だと感じる人も多いかもしれない。
だけどそれは、火葬が当たり前という偏った視座からの意見であり、土葬文化の中にいる人は「おじいちゃんを燃やすなんて野蛮だ」と感じるらしい。

◼︎犬神家を思わせる土葬の様子

日本中でも年に一度行われるかどうかの土葬の様子を、具(つぶさ)に観察研究し描写される景色は、犬神家の映画のようなイメージが湧く。

白装束の村人の列が細長い白い旗をなびかせながら、山里の畦道を進み、その手には他の葬儀では見ることのない供物や道具が山のようにある。

また、棺も、僕らがよく知るような遺体を寝かせる形ではなく、座って入れるようなスタイル。

そこに遺体を押し込めるのは、家族たちの仕事で、棺に納めるために、例えではなく骨が折れる(こともある)そう。

「遺体にあぐらをかかせて、前屈みに倒していく。入らなそうならグッと力をいれるんだよ。その時に、ガキッと鎖骨や首の骨が折れる大きな音がしたりするから、子供たちは家の外に出しておくんだ」という村人の語りは生々しい。

◼︎手間は愛

そうして遺体を入れた棺を村人総出の葬列で送り、墓地に着いてからもたくさんの儀式がある。

僕は「現代は儀式不足」だと思っている。どこでも効率化ばかりが求められ、なんの効果を生み出すかわからない儀式はどんどん端折られている。

でも儀式は残しておくべきだと思う。
10代の頃、当時好きだった女性に「手間が愛だよ」と言われたことがある。

業者に頼んで納棺してもらい、業者に運んでもらって燃やしてしまった方が、その後の墓の管理も経済的で効率的で手間も少ない。

だけど、土葬文化にある時間のかかる細かい儀式の数々や、身体が残っているので、数ヶ月から数年後に埋め直しをしなくてはいけない手間などをかけている時間が長いということは、家族や村人が故人のことを考えている時間が長いということ。

さらに「儀式」というものは、個の感情を穏やかに抑制し、人の死を個人ではなく共同体で受け止めることにつながると思っている。
それによって故人が、きちんと「ご先祖さま」になっていけるんだと思う。

◼︎土葬の怖い話

そういう民俗学みたいなことを考えさせられる部分もめちゃくちゃ面白かったけど、土葬にまつわる怪談話まで載っていてエンタメ的にも面白い。

日本で残り0.02%くらいしかないと言われる土葬は、多分あと数年で絶滅する。

なんとなく「あ、まだ現代の日本でこんなことあるんだ」と思える間に、読んでおけたことが良かった。

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