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(医療従事者向け)少し離れた場所から見た医師と言う職種のあれこれ


僕たち医師は、
医師になるべく勉強して医学部に入り、
そのままエスカレーター式に大学を出たら、
99%は医師として社会人人生を始め、
最後まで突っ走ります。

医療系以外の職種の方から見たら、
こんなに閉鎖的な空間での純粋培養というのは
かなり珍しいのではないでしょうか?
(看護師、検査技師、薬剤師、歯科医の方は同じような感じかも。
あと思いつくのは士官学校卒の自衛隊幹部の方くらいでしょうか。。)

そんな僕たちは、
自らの仕事を客観的にみるチャンスは
とても少ない

というか
そういう視点で仕事を見つめることすら
ないかもしれません。

医学部を卒業して10数年経過した僕は
今になってようやくその
“環境の異常さ“
に気がつきました。

もちろん、
これは否定的な面ばかりではありません。
今でもこの仕事は好きですし、
一生やっていきたいと思っています。

今日はそんな医師としての職業を
自分なりに客観的に見てどう思っているのか
を徒然と書いてみたいと思います。

医師という職種のメリット

雇用の安定性と選択の自由さ

臨床医として働き始めると
外来患者さんたちといろんなお話を聞く機会が
あります。
そして数年間継続して通院されている中で、
仕事上のキャリアに関し、
僕が思っていたよりも
皆さんはるかに紆余曲折あること
にとても驚きました。
まぁ僕が世間知らずなだけですが💦

一般的に社会人の多くは
総合大学を卒業し、就職面接ののち
様々な分野の企業に就職していきます。
そこでしのぎを削り、様々なスキルを得て
キャリアの階段を登っていくわけですが、

その会社が倒産しないという保証もなく、
また不況の煽りを受けリストラをされるリスクも
当然あるわけです。
そこで再就職するためのリクルート活動をしても
求められるスキルと自分のスキルが合致し
収入面でも同水準を保てる保証はどこにもありません。

それに比べ僕たち医師は、
自分で就職先を決める権利を持っています。
しかも全国津々浦々、病院は数多あって
多くを望まなければ就職先に困ることはないでしょう。
そして何より、
給与水準も一般社会人の方に比べ
高レベルで遥かに安定しています。(今のところ)


どこかの大学病院の医局に属すると権利がないじゃないか
という意見はあるかもしれませんが、
その医局に就職することを選んだ結果であり、
その後の人事についてはある程度の拘束力はあっても
絶対に逃げることができない、ということはないはずです。
(医局を去る覚悟は必要かもですが😅)

さらに、現時点では
医師になるということは決まっていても
どの科を専門とするのか、
はたまたジェネラリストとしてやっていくのか、
研究者になるのか、も
選び放題です。

サラリーマンであるにも関わらず、
こんな高い安定性と自由性を持つ職種
かなり珍しいのではないかと
今では思います。

高い社会的信用

少し前に僕が自宅を購入するために
住宅ローンを申し込みに
地方銀行に伺った際のことです。

全体費用の予算と
購入予定の土地のお話をする中で
ご職業は?と聞かれ、
医師です。と答えた瞬間、
銀行員さんの目の色が変わりました。

そして、
僕が通常の勤務医ではなく
フリーランスの内科医であることも伝えましたが、
「問題ありません。
よほど問題がない限り、ローンは通ると思います」

と言われました。

住宅ローンを組む際に
勤務年数が短かったり、
安定した勤務先がなかったりというのは
かなりマイナス評価になる
と言われています。
でも、
医師という職業の社会的信用と雇用の安定性は
それを補って余りある信用
(どんなことがあっても
この人なら借金を返済するだろうという信用)
を僕たちにもたらしてくれます。

だから銀行もお金を貸してくれるのです。

あるいは、
外来に来られる患者さんたちは
初対面にも関わらず、
健康面以外の収入のことや親族のことなど
かなりの個人情報を吐露してくれたりもします。

これは普通では考えられないことですし、
僕個人が信用できる人間かどうかなんて
会ってすぐにわかる訳ないでしょうから、
医師という職業に高い信用があるからこそ
お話してくださるのです。

(それを守るべく医師法として守秘義務が定めてあるのでしょう)

これほど高い信用度を持つ職種として
他に思いつくのは、
警察官、弁護士、国家公務員の方々
くらいでしょうか。

医師という職種のデメリット

個人としての仕事への責任の大きさ

1人の患者さんの問題に対し
僕たちは様々な職種の方々と連携して
解決する方法を模索していく訳ですが、
その責任は圧倒的にリーダーである医師にあります。

仕事の影響範囲が広い分、
特に直接の部下でも上司でもない方の失態に対し
お詫びをしたり、
リカバーに回ることも
しばしばです。

そして、健康の問題を取り扱う以上
大きな問題になることもあります。
その重圧は、
医師となり患者さんの主治医になってみないと
わからないでしょう。
自分の最終判断が
その方の人生を左右するかも知れないのですから。
恐ろしいことです。

労働集約型の仕事である

医師という仕事も結局は
実際に働いた対価として
サラリー(給与)をもらう
という
労働集約型の仕事
です。

時給の相場はある程度決まっており、
働けば働くほど
年収は増えるかもしれませんが、
自分の時間も失います。

それは
前にも同じようなことを書きましたが
自分の時間(=命)を差し出し
お金に変えている

とも言えるかもしれません。

しかもそこに
人命を救う
国民の健康を守るという
社会的意義も出てくるから
勝手に働くことをやめるわけにはいきません。
ある意味、
強制的に自分の労働力を投入せざるを得ない訳です。

サービスに対する報酬体系ではないこと

もう一つ問題だと思うのは
この賃金は
僕のサービスの質に対して
直接払われたものではない

ということです。

必要なのはコマとしての労働力であり、
その単価はあらかじめ設定されていて
患者さんからは感謝されることはあれど、
行われた医療の質や成果に対する評価の
報酬として賃金が発生はしていない。

言い換えれば、
質よりも量
が求められる職業ということになります。

なんだかこれでは報われませんね。

高い技術と知識を有する先生の診察と
研修医の診察が報酬として同価値
ってのは
とても納得できるものではありません。

斜陽産業である(日本人相手では)

これからどんどん日本の人口は減ることは
誰でも知っています。
僕たちのほとんどがこの日本人を顧客として
サービスを展開している以上
市場の 縮小はいずれじわじわと
医療業界全体に影響してくるはずで
す。

もちろん職業がなくなることはないと思っています。
AIが台頭しても人間は人間相手に相談したいものですから。

でも市場の縮小と人余りが現実化してくると
単価は当然下がってくると考えています。

つまり、
医師になった時点で経済的心配がなくなる
という通説は幻想となっていく訳です。

以上。
なんだか書いていて
心底寂しい気持ちになってしまいましたが
逆にこの事実を元に
自分の強みを持つ、磨く
チャンスでもあるかもしれませんん。

危機感を持ったら即行動。
戦時中の一般市民も
日本が敗戦になることを薄々知っていながら
その先の日本を見据えて行動したのはごく少数派
であったそうです。
そしてその人々が今の日本を作り上げた。

自分はマイノリティでいたいと思います。
それでは、また。

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