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No.1【ネタバレあり】蕞の戦いと地域包括ケア防衛戦

※写真は31巻よりお借りしてます。

蕞(さい)の戦い(31〜33巻)

時間がないのでいきなり戦いの核心にせまる話から入る。

蕞の戦いでは、
1.嬴政(えいせい、後の始皇帝)が自ら城に入って飛信隊らと共に趙軍と戦った。
2.趙の李牧軍と戦ったのは民間人の兵士が多数であった。
3.楊端和率いる山の民が決め手となった。
4. 龐煖(ほうけん)を信が退けた。

蕞という城で何故壮絶な戦いが必要となったかに遡ると、函谷関(かんこくかん)での合従軍との戦いに秦の将軍が全員集合して総力戦を行っていたからである。

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函谷関とは…高さ66メートルもあったと言われる秦時代にあった関所。

コロナとの戦いは、感染症指定医療機関や救命救急センター、自治体病院という医療における城が連合軍を編成して戦っている。それこそ今医療の現場は函谷関を守るために必死である。

コロナ大戦における蕞とは?

私はコロナ大戦における蕞は、介護福祉の現場であると考えている。李牧がコロナウイルス側に居たとしたら、大きな病院を攻め落とす振りをしながら長期戦に持ち込み、クラスターを地方の介護施設で発生させる。福祉の現場にはN95マスクもタイベック製の防護具もない。感染対策の専門家もクラスター対策班も函谷関に張り付けられており、介護福祉の対策は進まない。それどころか、介護施設は各地方自治体が責任を負うことになるため、その崩壊は市町村役場の崩壊を意味する。福祉が崩壊すると重症患者割合の高い患者数が跳ね上がり、クラスター対策が追いつかず、医療はコロナの第二波に飲み込まれる。医療福祉が崩壊し、役場が機能停止、すなわちそれは戦の敗北を意味する。

流石に攻め込まれたら役場にいる市町村長も黙ってやられるわけにはいかなくなる。職員や住民を鼓舞し、嬴政のように自ら城に籠り戦わざるを得なくなる。もちろん、自分もコロナにかかるリスクを背負って戦う。

蕞の戦いから得られる教訓はその次にある。

蕞の老人や子供、女性が何故武器を持ち、数日間の長い戦いを耐え抜くことができたのか。

まずは、嬴政のリーダーシップである。戦いの素人に勇気を与えて、万の軍勢を作ったわけである。コロナ対策の戦いでは、頭数も大切である。介護福祉は慢性的な人材不足で苦しんでいるため、1人でも多くの兵士を確保したい。最終的に住民同士で交代でお年寄りのおむつをかえる、そんな将来像だ。

自治体のリーダーは何と声をかけて住民を奮い立たせるかが重要である。嬴政のように、国が滅ぶという言葉を使い、住民を立ち上がらせられるか、そこはトップの大号令が決め手となる。

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次に蕞の戦いは、素人だけでは戦い抜けなかったはずである。飛信隊という体力のある軍と麃公(ひょうこう)軍が四方に配属され、河了貂(かりょうてん)ら軍師も有能な人材が複数名配属されていた。
つまり、地域の住民を巻き込んで介護福祉の戦いを耐え抜くためには、作戦を練る人材と、地域の現場で獅子奮迅の活躍をする人材を確保しなくてはならない。
役場の最も頭のキレる人間と、戦える保健師や医師会の先生を巻き込みながら、一般市民で戦える体制を構築していく必要がある。

まさに蕞戦のように、それでも戦いながらみんなが疲弊していくだろう。

ではどうしたら勝利に向かえるか。ここを考えたい。

蕞では、楊端和が来てくれたことで勝負が決したわけである。山の民が圧倒的部力で李牧軍を蹴散らしたような援軍を地方自治体が得られるか。

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後に別の章で話すが、コロナ大戦における楊端和は防災対策部のリーダーである。つまり、大地震や台風の時にリーダーたる人が必ず地域にはおり、その方に味方についてもらうのが良い対策になる。これまで医療・福祉・介護の人員で戦ってきたところに、山の民として防災課や自主防災組織、消防団が味方に入ってもらえば、コロナ大戦の介護福祉の戦いは好転する。その援軍を戦いの序盤で呼んでおくかどうかが勝敗を握る。

・リーダーが住民を奮い立たせること
・自治体の有能なスタッフを適所に配置すること
・応援要請を早めに防災関係者に要請すること

この3点がコロナ大戦のクライマックスで非常に重要になると分析している。

最後にひとつ

地域の現場にいる信がまさに自分と考える方もいるかもしれない。信が龐煖と戦った意味を考えてほしい。あなたの地域をコロナから守るのはあなたであり、自分の資格や所属、経験年数を越えた地域を守るという想いをもって必ず倒さないといけない。その覚悟の象徴が李牧撤退が決まったあとに描かれた信と龐煖との戦いだろう。

蕞の城で犠牲になった者がいたように、地域の中で失われる命もあるかもしれない。ただ、自分の地域を守るために奮い立ち、戦い抜いた国というのは勝利を得た後はとてつもないまとまりをみせるだろう。

蕞の戦いは暫く後になるだろう。それは地方では5月末から7月の間かもしれない。
決して油断せずに、李牧を追った麃公将軍と信のように、戦の炎を見逃さないようにしよう。

Dr.RISHIN

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