スポーツとか、政治とか

本日、まあめでたく東京オリンピックが幕を閉じ、やっぱりスポーツは面白いと実感した2週間でしたね。開催自体は世の中のいろんなことにどう影響したかはこれから検証してもらうとして、これまでスポーツが政治に影響されてはならないとされて来たことが全くのお題目であったことが一番明白だった大会だと思います。

もちろん、都市や国家のお金が費やされるのですから、政治と無関係というわけにはいかないでしょうが、IOCに半強制的に開催させられ、という印象も拭えず、また五輪大臣なってポストを作る、組織委員会の会長が国会議員であるなど、いよいよ持って政治の道具になってるなあという印象です。

問題は色々あると思いますが、組織委員の選考やそこで話し合われている内容が不透明であることが第一ですね。新国立競技場の設計コンペや大会ロゴの選考における検証不足。設計コンペは建設不可能な案が通り、さらにロゴは盗作であったということです。僕が依頼を受けて音楽を作る時の契約では、条文に必ずと言っていいほど「盗作騒ぎになったらお前の責任でなんとかしろ!その分の損害が出た場合はその分を支払え(かなりわかりやすく書いてます)」って入ってます。もちろん、丸パクリなんてことはしませんし、今まで、それでもめたことはありません。

で、これは結局、やり直しになって、今の新国立、ロゴになったわけですが、選考委員の中からは異論が出たのか出なかったのか?僕にはよくわかりません。結局、お金と利権に群がった結果は杜撰な選考だったということでした。これも時の権力者がゴリ押ししたのでは?と疑ってしまうほどですね。

さてさて、その後も開会式の演出をめぐってのバタバタ(これも検証不足・あるいは内部分裂なのかもしれません)は記憶に新しく、直接は関係ないと思いますが、コロナの感染は爆発的に増加してきて、政府はこの対応に苦慮してます。唯一の救いは日本選手団の好成績だけなんだと思います。外国選手が六本木で飲んでたり(酒飲めんの?)とかいう話も伝わってくるし、そりゃ我々にしてみりゃ、「スガちゃん、約束が違うよ!」って話になりますよね。

なぜ、東京オリンピックがほぼ恙無く終わったのか?それは現場が優秀だからです。やはり、日本人の特性は出てたと思いますが、もし、ボランティア活動などの最中に感染し重篤化した場合の保障などが気になるところです。ただ、裏を返すと、季節柄ですが「お国のため」というセリフが頭をかすめます。

オリンピックを隠れ蓑にさせないように、我々も常に見ておく必要があると思います。思えば85年前、ヒトラーが開催したベルリンオリンピックはドイツ国民を虜にするプロパガンダに使われました。政治の力は大会をスムーズに進めることに使われることには異論はないですが、スポーツやエンタメを政局や支持率の向上に使おうと画策するとすれば、我々は決してそこで評価するのではなく、現在我々が最も困っている、コロナや自然災害からの復興などで評価すべきだと思います。

何れにせよ、これからの2週間で色々と結果が出てくると思います。それを見ながらまた色々と考えてみたいと思います。

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