如月もすでに2週目

2021年もすでに入り、「ああ、今年ももう12分の1が終わっちまったなあ・・・」と思っている人も多いのではないでしょうか?自分自身としては1月はほとんど何もせず終わってしまったイメージです。昨年末より父親が病気で入院して1月19日に死去、また緊急事態宣言で仕事などにも影響が出たおかげでバタバタとしておりました。

そんな年のスタートですが、昨年の緊急事態宣言と違うのは、なんとなくというか中途半端に世の中が動いているイメージと、緊迫感があまり感じられないということでしょうか。昨年の時は街から人がいなくなり、ものすごく一体感を持ちながら家ごもりをしていたような気がします。今回はウィルスに対する情報がだいぶ溜まってきたこと、また恐らくですが国も自治体も大盤振る舞い出来なくなって来ていること、そして何より我々が慣れてしまったことで、楽観的ではないにしろさほど悲観的になることもなく、日々を過ごしているような何か中途半端な感じがします。

医療崩壊は絶対に避けなくてはならないのですが、どこまで皆がイメージできているのでしょうか?大災害への備えにも似た、実際にそういう目に合わないとわからないという、そんな感じがします。コロナ自体は重症化しなければなんとかなる病気ですが、一旦重症化すると、最悪の場合10名近い医療従事者が1名に対してつく事になります。これが負担を重くして、コロナ以外の緊急を要する事態への対応が出来なくなってくるのが怖いのです。すでに始まっているのかもしれません。

さて、そんな人類ですが、昨年、一昨年あたりに異常気象が世界中で巻き起こり、日本にも大きな台風や台風並みの大雨が矢継ぎ早にやって来て大きな被害を出したことは記憶に新しいと思います。原因として、地球温暖化など人間の営み、特に先進国の経済活動が大きく取り上げられました。冗談めいて「地球環境に一番害悪なのは人間だ」なんて言うことも多々ありました。そこにこの新型コロナの出現に何か因果関係があるのではないかと感じてしまいます。

色々あるのですが、まず、人々の移動を制限したこと。これによって経済活動が制限され、交易が思うようにいかなくなりました。人が動かないとお金も動かないと言う事が、本当によくわかります。数百年に渡り経済圏が徐々に拡大するにつれ、人間の富は増大し、その代わりに格差も大きくなり、特に第2次世界大戦以降の急激な情報伝達の加速と量の増大、利益偏重の資本主義などで、我々自体も気づいているけど、置かれた立場の中、どうしようもない渦の中でもがいていたのだと思います。

そこにこのコロナ禍。人類よ、一旦落ち着け、と言うタイミングでの出現で偶然なのか、ただやはり何かの警鐘であることは間違い無いと思います。もちろん悠長にしている場合では無いですが、人間が拠り所にしている、コミュニケーションの形を完全に変えようとしています。

例えば、黙って食え、と言う事ひとつ取ってもそうです。食事をしながら打ち合わせ、家族の団欒、友人との親睦、これをまずしづらくした。さらに握手、抱擁、と言ったスキンシップでのコミュニケーションもしづらくした。さらに表情で伝達しようにもマスクをしているおかげで、表情での意思表示もしづらくなった。一人一人切り離されれば、動物としては地球上で一番弱い部類の人間ですから、これは致命傷になりかねない。もちろん、いつか克服して今まで通りに戻るかもしれないし、新しいやり方で乗り切っていけると思いますが、現状はかなりピンチに近いのかなと思います。コミュニケーションの分断は不信を生む一番の原因です。

今日この文章だけで、いろんな思いは書ききれないので、また続きは近いうちに書こうかと思いますが、今、ネット上はじめ、いろんな意見が飛び交っています。正反対の意見も色々あるのですが、立ち位置が違うだけその立場に立てば言っていることは正しいことなんだなと思ってしまいます。緊急事態宣言で困っている人も大勢いれば、なぜか株は上昇していてそれで儲けている人もいるでしょう。ただ、何れにせよ地球が崩壊すれば全ての人類にとっては同じ運命が待ち受けているはずなので、いわゆる勝ち組は、その責任として、そう言う思いに少し馳せてみるのもいいかもしれません。

また、指導的立場にある人はこれまでの失敗や教訓を素直に認めて、よりよい判断を今後していって欲しいものです。

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