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自然科学は完璧じゃない

こんにちは、Dr.K(ドクターコージ)です。
Apple社のiPhoneで植物の写真を撮ると、その属名が表示されるという事で、桜の写真がサクラ属では無くスモモ属だ、と一部で話題になっている様です。

コメントの中には、日本と世界で分類が異なると言う情報があり、世界で統一されていない知識は科学ではないと言うコメントもありました。

しかし生物学を少し学んだ人から言わせて頂くと、似た様な特徴を見つけて分類することで、何か大きなことが理解できるのではないか?と言うことから、識別しやすい様に分類されていますが、分類に使われる基準は誰かの仮説を通説として使っているだけであり、新たな発見がされればまた変わりますし、どんな思想の誰から学んだかによっても、その人の分類についての考え方は違ってきます。

科学知識の多くも同様で、観察できる事象を一番多くの専門家が納得出来る仮説が通説として採用されているだけであり、その仮説に矛盾することが説明出来る新説が提唱され多数の同意が得られれば、それが通説となったり、場合によっては異なる仮説を支持する人達が、別の学派として併存したりする状況もある訳です。

分かりやすく分類出来る物であれば問題無いのですが、例えばウイルスは遺伝子を持ちますが、単体では代謝機能を持たず、生命活動を営めません。では全くの無生物なのかと言うと、宿主生物に感染すれば増殖することが出来るので、金属の様な無生物でも無いんですよね。

自分が医学部で学んだ頃は、ウイルスは1種類の核酸をタンパク質の殻が包んだ粒子であり、生物の基本的な性質である細胞構造を示さず、原核生物、真核生物のいずれにも分類できず、生きているとも言えない、と言うのが通説でした。

細胞から蛋白質や核酸が膜に包まれて放出され、多くの細胞に情報を伝える「エクソソーム」と言う物があり、ウイルスはエクソソームに過ぎないと言うことを主張する人もいますが、それもまた都合の良い共通点を繋ぎ合わせた仮説のひとつに過ぎません。

桜の分類については詳しくは知りませんが、国によって通説としている説が異なると言うことは、十分起こりうると思います。
とは言え、例えば「植物界被子植物真正双子葉類バラ類バラ目バラ科」であると言うことは共通認識としてあり、その下の「属」や「種」として特定の桜をどの属や種に分類するかの違いと言う程度のことであり、植物として扱うか動物として扱うかとか、真性双子葉類として扱うのか真性単子葉類として扱うかの様な根本的なところの認識の違いでは無い訳です。

世界的に統一した唯一絶対の理論が存在しないのは科学ではないと言うコメントをする方は、科学を深く学んだことが無いのでしょう。深く学ぶほどに、説明できないことや分からないことが明確になってきますので、現在の通説や理論の不完全性が強く認識される様になります。

科学者の中には現在の通説では説明出来ない矛盾を包括して説明出来る新説を日々考えている人もいますが、多くの科学者は矛盾点は置いておき、説明できる範囲で実験したり実践したりしてるのが現状です。

ですから科学的に説明出来ないから非科学的と決めつけるのは良くないですが、とは言え科学用語を使った荒唐無稽な理論体系の理論を信用するのは、気をつけた方が良いと思います。

例えば微小世界において観察される事象を説明する量子論は、未だに世界統一見解と言える様な通説がありません。その様な中で、特定の場所に粒子が存在する確率が時間とともに変動する「波動」や、距離に関係なく観察と同時に他方の状況が決まる「量子もつれ」などを、都合の良い解釈をして霊的な説明をする人達がいます。

量子論における波動は確率の揺らぎですので、周波数や波長と言う物は存在しませんし、肉眼的に見える流体力学的な波とは異なります。
「粒子的性質と波動的性質がある」と言う言い方も概念的な物なので、肉眼的な粒子と波のイメージとは違うのですが、霊的な説明をする人達には、そこを意図的に見ない様にしている様です。

科学は絶対の物では無いですが、全てが出鱈目と言う訳ではなく、発展途上の未完成形として活用しながら、説明出来ないことについては否定せず現象として受け止めながら、補完出来る仮説を使いながら理解する、と言う様な姿勢が必要だと思います。東洋伝統医学理論を補完的に使うと言うのは、そう言う意味だと思います。

この様な姿勢に立てば、「現在の科学や医学は全て裏社会の巨悪の陰謀」であったり「現在の科学的通説以外は全て似非科学」と言う様な凝り固まった思想に深入りせずに済むと思います。

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