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Vladimir Horowitz – An Historic Return: Horowitz At Carnegie Hall (1965)

 1965年の5月9日、心身の健康を損ねて12年ものあいだ表舞台から遠ざかっていた巨匠Vladimir Horowitzが本当に姿を現す確証など、誰にもなかったはずである。その気になればGlenn Gouldのように世捨て人になることもできただろうが、偉大なピアニストの復活に対する聴衆の期待は高まる一方だった。当日は、渋滞の街ニューヨークの中でも、カーネギー・ホールに向かう道の混雑はひときわ激しかったという。
 演奏はバッハのトッカータで幕を開ける。Horowitzはバロック的様式美を突き詰め、澄みきった水面のような音像の上に自らを映し込むかのように、音楽の中に自己の姿を投影していく。序盤ではミスタッチこそあったものの、バロック的様式美とロマン派的美学をもって成しうる神業を見せた。
 シューマンの幻想曲の中で、彼はかつての技巧を取り戻していく。最も魂のこもったスクリャービンのピアノソナタ9番を経て、オーディエンスが最高潮を迎えるのはショパンのマズルカを含めた小品3連発だ。伝説を目の当たりにして、1曲が終わる度にまるでロック・コンサートのように観客は狂瀾した。アンコールで披露されたのはシューマンのトロイメライで、炎のような熱狂を鎮めるかのように奏でられるメロディの儚さと、その不思議な包容力には感服せざるを得ない。
 優雅さを湛えつつ、鬼気迫るように音楽を紡いでいく姿が非常にドラマチックな名演である。しかし、冒頭のバッハやシューマンのコーダなど、技巧面での瑕疵があるのも確かで、修正版など多くのバージョンが世に出されている。しかし、そのいずれもが歴史の証明であることに変わりはなく、クラシックの愛好家には興味をそそられるものばかりだ。