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07 「支援」について考える

 私たちは食支援、地域食支援の実践をする中で「支援」という言葉を疑問を持たず、当たり前に使用している。ただ、いろいろな食支援の形があることを見てきた中で、「そもそも支援とはなんだろう」と思いつき調べてみた。すると世の中には支援論というものがあり、いろいろな角度からディスカッションされていた。直接食支援に関係するかどうかはわからないが、支援について学ぶことは有用であると考えた。
 そこで、調べてみると各論が多い中、支援を考えるための原点とも思われる論文があった。

「支援の定義と支援論の必要性」
小橋 康章, 飯島 淳一著
「組織科学」1997 年 30 巻 3 号 p. 16-23

少し時代は遡るが、この論文を元に、支援そのものを考えるとともに、食支援をどう捉えていけばよいのかを考えてみる。

 まず、支援には定義がある(知らなかった🙂)。

支援とは、他者の意図を持った行為に対する働きかけであり、その意図を理解し、その行為の質の改善、維持、あるいは行為の達成を目指すものである。

支援基礎論研究会 1995

  人ではなかった!支援とはその人にアプローチするイメージであったが、定義的には、「行為」への働きかけであった。そして目的も「行為」であった。これは食支援の現場と一致しているだろうか。
 医療職による治療やリハビリ職による機能向上プログラム、介護職による生活支援も、本人の食べたいという気持ち、食事行為に対して機能的、環境的に補完するものである。食事ができるような動きのリハビリ、食べる行為のための姿勢調整、そして食べられるための食事環境調整。
 また、「意図を理解し」とはまさしくであり、これを置き去りにすると支援にはならない。
 まとめてみると、食支援とは、本人が食べたいという希望があり、その行為(食事)をしようとするが、何らかの障害があり、それが十分にできないことがある。その行為(食事)に対して支援していくことと言えるだろうか。

 本論文中に支援の一般的な特徴として次の3つについて語られている。
(a)意図的である;
目標を持って意識的に実行する。
(b)二次的である;
被支援者の行為に対して行う二次的行為である。被支援者が目標を明確に持って支援に入ることもあるが、被支援者が目標が定まらなければ、二次的な行為である「支援」により被支援者が最適解を見つけ出す可能性を引き出すこともある。
(c)知識に依存する;
支援は、支援者の知識や経験によりレベルが変わる。行為を対象にする支援は、被支援者の知識に依存する。
*被支援者;支援を受ける人

 少し翻訳の必要がある。支援とは、明確に目標を持って行うことであって、「たまたま役に立った」ということを支援とは呼ばない。知識や経験により、被支援者の目標や支援者の支援レベルが異なる。また、被支援者の目標は流動的であり、支援として求められる行為は絶えず変化する。
 食支援の実践者であれば合点のいく内容であろう。

 支援が失敗するわけについては次の5項目が挙げられている。
(a)受容の問題;
良い支援だけど受け入れてもらえない。
(b)評価の問題;
支援は実行したが、そのせいかを評価できなければ支援の質が上がらない。
(c)効果のフィードバックの問題
効果が現れなければ支援が切られてしまう。
(d)効果の消滅
ある時点では有効だった支援が、時間経過とともに効力を失い、有害になってしまうこともある。
(e)副作用
意図しない悪い効果が出てしまう。

 支援の実践者であれば誰もが思いつくシーンであろう。例えば、副作用。口腔ケアが十分でないので歯科衛生士の口腔ケアを介入してもらったところ、本人は全く口腔ケアをしなくなってしまったということがあった。それぞれの職種として思い当たることはあるのではないだろうか。

 本論文を読んで、「行為」に対して行う行為が支援であることがわかった。どのような支援でも基本構造は同じ、もちろん食支援も同じであることがわかった。
 最後に、本文中のまとめから以下の文を引用しておく。ここにすべてが集約されるだろう。

 支援者は、被支援者の意図や目的を理解し、支援するという意図を持って、知識に裏付けられた支援を行う。支援の一つのポイントは、行為の目的の決定を、被支援者が主体的に行うという点である。支援者が目的を押し付けるものは支援ではない。被支援者が目的や手段を明確にすることを助けることも支援の重要なポイントである。

支援の定義と支援論の必要性 1997

#支援 #支援論 #食支援



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