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レポートの採点を終えて(雑感)

春学期のレポートの採点を終えた。毎年それなりの枚数があるので結構大変である。

提出前に間違うといけないので、最終的な点検はこれからしないといけないのだが、一段落終えたのでここに雑感を記す。

1.良い/悪いの差が激しい

 毎年感じることなのだが、良くかけている学生は本当によく書けているし、そうでない学生は本当に書けていない。その差が激しい。ではなぜその差が生まれるかというと、当たり前だが授業を聞いているか聞いていないかである。

 私は授業が終わるたびに、授業の理解度の確認と次年度の授業のブラッシュアップのたびに、学生にリアクションペーパーの提出をお願いしている。(ちなみに出席の代わりではない)。結構ちゃんと読んでいるので、聞いている学生と聞いていない学生の違いがわかる。そしてその内容良し悪しは、レポートの内容の質とかなり相関している。私のレポートのテーマは授業内容を聞いていないと書けないものにしている(つもり)なので、これは当然と言えば当然かもしれない。

2.コピペは少なくなった。

 さすがに様々な発見ツールが発展していることを学生も知っているので、「THE コピペ」というレポートは少なくなった。それでも、「○○である」を「○○だと思われる」というように、語尾を変えることでコピペがばれないようにしようと試みるレポートはやはりある。ただ、内容を読めばわかるし、こういう小手先のごまかしをしても最近の発見ツールは見破ってしまうので、もうコピペは年々少なくなっていくだろうと思う。

3.増えてきたレポートの書き方

以前にもつぶやいたが、最近レポートを読んでいて気になるのは、次のような書き方をしているレポートである。

それは「このテーマに関する論点は3つある」
 第一に、、、、(改行)
 第二に、、、、(改行)
 第三に、、、、

というレポートが増えたことである。おそらくこれはパラグラフライティングを高校生までに叩き込まれているからかもしれない(これから述べるChatGPT等の生成AIの影響もあるかもしれないが)。
こういうレポートはすっきりしているし読みやすいのだが、一つのことを掘り下げて論じようとすると内容が浅くなってしまうというデメリットもある。卒論みたいな長い文章を書くためには、あまりこういう書き方を癖にしない方が良いかもしれないとも思う。

4.ChatGPT等の生成AIを使ったレポートは「そうかな?」と思うけど確信をもって見破れない

 3で書いた段落で内容を分けるレポートが多いのは、ChatGPT等の生成AIを使っている可能性もある。こういうツールを使ったレポートは、内容がのっぺりしていて当たり障りのないことしか書いていないので、何となく「ピン」とは来る。でも確信は持てないという感じである。

5.旧来型のレポートによる授業評価は廃止の方向

 最近の生成AIは、論文やレジュメを読み込ませて、その内容に沿って、レポートを書かせることもできるし、今は想像もしていないことがこれからどんどんできるようになるだろう。こうなってくると、旧来型の、テーマを出して、〆切を設けて、後日提出、という形式のレポートはもはや評価の方法として適切ではなくなってくると個人的には思っている。
 取りうる手としては、同じ時間同じ場所に集めて、その場で書いてもらう方式の論述試験にするか、あるいはもっと過去の形式に戻って知識を問うテストにする、という感じになってくるのだと思うのだが、知識偏重に戻っていくような感じもしてなんだか寂しい気もしなくもない。

あぁ、評価が必要のない授業であればいいのになぁと、ここまで書いて改めて思った。

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