夜空の虫とどこまでも

朝早く起きて夜遅く家に帰る日々が続いている。

それはもちろん、仕事にありつけず低賃金で困窮するよりはよっぽどいいことだ。そのありがたみは日々ひしひしと感じている。残業代は出るし、コンビニで買い物することには躊躇しないくらいの生活は送れている。ただ帰る頃にはあたりは真っ暗だし、朝家を出るときは真っ暗で電車に乗っているうちに東方の空が白んでくることもあったりする。平日はいつもそんな感じで、休日になればいつの間にか夕方になっていることばかり。休みの前夜に明日はあれこれしたいなと思っていたこともいつも部屋に差し込む西日に気付かされる。仕事用のスクーターのウインドスクリーン以外から天日を見たのはいつの日だろうか。B‘zのBIGを聴いて笑っていた小学生の頃が懐かしい。

休みの日に部屋から出たいという気持ちはある。事実学生の頃やつい2年前までは休みの日に部屋に閉じこもるなんてとんでもないことだと思っていた。今や休日に玄関戸を開けることができない。目的もないまま小さな画面に目を落として、時たま目を閉じて、そのまま眠ってしまったりして、夜になってコンビニに行くためにちょっとだけ出かけて、ちょっと元気な夜中に明日はどこかへ行こうかなと思うだけ。次の日にどこかへ行くことはもちろんないけど、そう考えている時だけは心の安泰ってやつが守られる気がして、安心して眠りにつく。小さな画面を傍において、小さく丸まりながら長い眠りにつくのだ。これはきっといけないことなんだろうななんて思いながら。

昔読んだ小説を思い出す。部屋の中で眠りこける主人公がいて、眠り過ぎてしまうことにこのままではいけないと思いつつも眠ってしまって、ついに恋人からの電話のコールにも気づかなくなってしまう。というような話だったと思うが、この状況を自分に投影してしまって仕方ない。体は疲れていないはずなのに、休日なのに眠りこけてしまう。その小説の主人公はきっかけがあって立ち直るのだが、現実の僕にきっかけを与えてくれるのは果たして誰だろう。そうやって夢見心地で何かを待ってみるけど、後に残るのは底知れぬ罪悪感だけ。

考えてみれば、外に出歩けなくなってしまったのはいつからだろう。仕事が忙しくなってしまったから? 疲れが溜まっているから? 複合的なものな気がしないでもないが、きっかけは昨年春の緊急事態宣言からではないかと思う。一度出歩くなと強制されてしまって、宣言が解除された今も自分の中で何かを解除できないままでいる。


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悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今

曰く不可解。としてこの世を去った人の手記。

遺書もなく、お気に入りの絵画を飾った部屋でウイスキーの傍で息たえた老人。

はたまたその将来を期待させながらも、交通事故で亡くなった若いラッパー。俺今年それ全部叶えたよ。って別のラッパーに言われてたっけ。

若くして恋人とホテルの一室で死んだパンクスもいたし、長年世界的ロックバンドのメンバーとして活躍し、多くの人に悲しまれたドラマーもいた。はたまた、遥か昔に僕が今住んでいる場所で幕府を開いて、戦い続けこの土地を守った人もいた。

こうして、今僕は6人の人生を羅列した。だけど、人が生きる死ぬと言うことを文字の羅列に置き換えてこうして語るべきことなのだろうか。実感を持った言葉として伝えることはできない。人の生と死。揺り籠から墓場まで。

僕の親父は「死」を扱う仕事をしていた。人が死ぬと親父の電話が鳴り響く。それは朝だろうと夜だろうと、休みの日だろうと年中続いた。幼い頃からその電話の音声を聴いていた僕にとってそれは日常のことで、その電話を受けた親父の口ぶりを察知して「ああ、メモしたいんだな」と思ってチラシの裏とボールペンをそっと用意するくらいには馴染みこんでいた。早朝に親父の電話の声で目覚めて、「ああ、今日家族で過ごす予定はキャンセルだな」なんて考える余裕すら持ち合わせるくらいに。僕ら家族にとって人の死は日常のもののように溶け込んでいた。決して広い街じゃないから誰々の知り合い、みたいな人だったりするけど特に深い感情で考える事はなかった。

ただそれは僕の視点だから考えられたことで、親父の目にはどうやって写っていたのだろうか、それはわからない。仕事と趣味の釣り以外につかみどころのない親父だから、ひさしぶりにあったところで話題は僕のことにスライドしてしまい聞けたことがないのだ。

日常的に人が死ぬ。そうして仕事がうまれる。そんな仕事ってどういう感じなんだろう。どう言う気持ちで親父は望んでいるんだろう。人が死ぬこと、遺族が悲しむこと、どん底に陥れられること。はたまた介護の問題が片付いて少し安心すること、それぞれの思いを慮って接する気持ちってどんな感じなんだろう。

たぶんだけど、一生僕は聞けないだろう。親父の世界に入り込むようでなんだか嫌だし、世界一僕に近い「男」に弱々しく聞くのは僕の中の男を否定された気がして嫌だ。

死ぬこと、生きること、死なせてくれないこと、生かされること。語るべくもない。曰く不可解。なんて言葉では言い表せないほどに。

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ラジオを聴きながらこれを書く。最近はネットで全国のラジオ局が聞けたりするが、敢えてアナログな機器でチューナーを合わせ、合わせた周波数に流れ込む声に耳を傾ける。部屋に散乱したものたちが騒めく。エアコンの風かわからないけど、そんな事は取るに足らない。

僕は所詮、あるんだかないんだかわからないものに不安になって、部屋でこうして無益な文章を書き連ねるだけ。取るに足らないことと言われても呵責に押し込まれるだけの矮小な奴だ。

外に出ろ。そう言う意思がある中で外に出れない僕。いつか自分の思ったままに外へ飛び出せる日が来るだろうか。今度親父に会った時は正直に話ができるだろうか。

今はまだ白河夜船の中。

夜の虫が纏わりつく。

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