ベイビーレイニーデイリー

雨に特別な感情が湧かなくなってしまった。

昔は傘をさして歩くだけで特別で劇的な日に変わったような気がして、雨の日こそ外へ出て歩くのが好きだった。傘がなくて家路を急ぐのもそれはそれで爽快で、ずぶ濡れの体を湯船で温めたときの安堵を思えばやり過ごせた。雨足を避けて軒先で紫煙を燻らすのも、喫茶店に駆け込んで雨音鑑賞と決め込むのも情緒があってよい。常連客とマスターの会話をぼんやり聴きながらコーヒーが冷めるまで居座っていたい気分になる。

雨とは、日常に強弱をつけるイミテーションのようなものだ。

しかしこうも雨続き、先の読めない天気ばかりが日常になれば諄く不愉快にもなる。急展開ばかりが続く物語がつまらないように、雨の降り続ける街は全くもって退屈だ。

過剰なイミテーションは目に毒だ。わかりきってるから、みんなあえて言わないだけ。きっと明日も雨だろうから、傘を干す気にもなれやしない。6月のどこにでもある光景だ。雨が降る、感受性が奪われていく。


シャムキャッツが解散した。

10周年ライブも記念音源リリースもして、節目を過ぎたすぐのことだ。音楽誌もファンも、レコード屋も解散の文字が踊っていた。僕自身もまさか解散だなんてと、すぐには信じられなかった。

バンドの終わりは劇的だ。

ただ、僕にとってそれほど特別かというとそうでもなかった。驚きはしたが、CDを1枚持っていて、apple musicにアルバムが入っている程度、ライブに行ったこともない。ファンかと問われるとそこまでではなかった。知ってる程度のバンドだ。

ただ、どうしても劇的なニュースに見えて仕方ない。

きっと、これからいつでもシャムキャッツは新譜を出すし、いくらでもライブをやってくれると思っていたからに他ならない。もちろん知らないくせにと言われるだろう。でも、いつでもシャムキャッツにのめり込む機会はあるだろうと思っていた。当たり前に名盤を生み出すバンドであり続けると思っていた。解散すればアルバムを聴きあさって素晴らしいバンドだと言い出すことはわかっていたのに。

雨ばかり降る日、シャムキャッツが解散した日。6月が終わる中、この二つを結びつけて考えるのはやはりおこがましいだろうか。

明日の降水確率は80パーセントだ。





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