光の方へ
ラッシュアワーの渋谷駅前。スーツのサラリーマン、ショッピング帰りの若者、すでに飲んだくれた与太者、シティーボーイやら諸々、ビル群の足元を這う様にごった返していた。すでに肌寒い10月の東京だが、渋谷に集まる人々にとっては気に留めることでもない。夕闇の渋谷、一番人が集まる時間だ。僕はといえば流れに押され、不機嫌な出立でスクランブル交差点にいた。
東京の内でも、どうにか順応できる街といくら通っても決して慣れない街がある。新宿より西の中央線沿線はすべて縁側から見る庭の様に愛おしい街だが、山手線沿線の、特に渋谷、原宿、池袋あたりは何度行っても赦された気がしない。きっと僕の先祖は田舎の村で、都町に向かって一揆やら下克上の世界で生きていたに違いない。高いビルを見て戦闘意識が湧くのはいつでも城の崩落を願っていたからに違いないのだ。109あたりが城で城下町が道玄坂、宇田川町あたりだろうか。先祖に倣って僕も空虚を睨みつける。
なぜ渋谷に来たのだろう。何度も思う。渋谷WWWでサニーデイ・サービスとカネコアヤノを見る。もちろんその為だ。ただなぜ先行受付に申し込んだのか。当選したのか。仕事を早く切り上げて東急線に飛び乗ったのか。自分の意志ではない様な気がしてならない。ライブハウスに一番通っていた高校生の頃は学校をずる休みして高速バスで札幌まで行っていた。ライブに行くという確たる意志があったように思う。
件の御時世で密集密接をやめろと叫ばれ、ライブハウスは当然大打撃を受けた。密集密接のお手本のような環境だし、そのために行くようなものだからライブハウスである以上どうしようもないかもしれない。さておき、ここ半年はずっとライブに行きたくても行けない状況が続いていた。緩和策が出されてやっと10月、なんとなくで取ったサニーデイ・カネコアヤノにどういうテンションで臨めばいいのか、完全に感覚を失っていた。
検温・消毒・間隔を開け階段を降りる。見慣れた3セットだが、ライブハウスでするこの行動が、不思議な感覚にさせた。WWWは2年程前に台風クラブとカーネーションを見て以来で、あの頃にはない当たり前が僅か2年で構築されていた。
フロアは床に碁盤のような線が引かれていて、ひとマスに一人。マスク着用。大声での歓声禁止。モッシュダイブ当然禁止。マスの中でゆらゆら見てくれ。そんな感じだった。
前方に行く気もしなくて、後方の壁沿いに位置どりして開演を待った。観客も皆新しいライブハウスの形に落ち着かないように、ザワザワしていた。照明が落ちる。ライブハウスってこんな感じだったなってふと思い出した。
ーーー
0時過ぎ。自宅の最寄り駅前にいた。すっかり眠りこけて気づいたら駅に着いていた。心地よい疲れ具合が身体中にあった。煙草をくわえて火をつける。普段は観光客でごった返す駅前だが、深夜ともなれば人っ子1人いない。ずっと非日常にいるような、そんな気がした。
その日のライブは正に、非日常の中にあった。
今までライブハウスは日常だった。あの轟音、あの距離、熱気にはじめて行った時は圧倒されたが、何回もいくうちにそれが普通になっていた。
その普通が禁止されて半年以上。制限の中で開かれたライブは普通じゃなかった。カネコアヤノがステージに登場して、「愛のままを」を演った瞬間に不意をつかれたようだった。ずっと思い出せなかった記憶が戻った瞬間のような、衝撃だった。
ライブハウスは感性をひっくり返すような、非日常に満たされた空間だ。それは以前からそうだが、新たな様式の中のライブハウスはさらに非日常だ。こんなライブハウスも悪くないなって思えて、声を出せずに手を叩いた。サニーデイサービスが青春狂走曲を演っていた。
今んとこはまあそんな感じだろう。言い聞かせるように頭に浮かべて家路についた。あとには煙草の吸殻と微かな耳鳴りだけが残っていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?