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記憶のトリガーとしての写真

  最近「撮り鉄」の無礼な行為や危険な行為が非難されがちだけど、「写真を撮りたい」という気持ちは僕にも分かる。 
 よく「写真など撮らずに心に刻め」などという人もいるが、忘れやすいのが人間の脳。
 だから「記憶を思い出すキッカケ」としての写真って、すごく重要な存在なのだ。

 撮影禁止の理由として「今、この瞬間を大事にして」というものがある。
 言っていることは、よくも分かるのだが、その大事な瞬間を、また味わいたいというのも人間の業なのだ。
 だから全てのところとは言わないが、撮影が出来るところを幾つか、作っていていただけると、非常にありがたい。
 ただ、自分の思い出を振り返りたい時があるのだ。

 「撮り鉄」の人達は、そんな気持ちよりも「収集欲」と「承認欲求」が上回っているから、「あれも欲しい、これも欲しい」という気持ちになって、迷惑な行為に走るのだろうな、と。
 多分、気持ちが3歳児の駄々っ子と一緒なのだ。

 だから「全ての写真を撮ること」そのものを否定するのだけは止めてほしいのだ。
 人に迷惑をかけることは責められるべきだが、「写真を撮ること」そのものは責められるべきでないから。
 もちろん「語るなかれ」「聞くなかれ」と言われている山形の湯殿山神社の本尊を、撮影して、あまつさえネットにあげるなんてことは、絶対にしてはいけない。 
 だけど、その神社の鳥居さえも撮影禁止(湯殿山はもちろんOK)と言われたら、少し寂しく感じる。

(ここまでで10分)

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