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赤い糸

「 運命の赤い糸の存在を信じるだろうか?」

 そう問うたなら、あなたは不審に思いながら、私に逆に尋ねるだろう。「あなたは信じるのか?」と。 

 そうすると、私は少し戸惑いながらも、何かを思い出したかのように呟くように答えるだろう。
 たった一言「信じる」と。

 まだ20世紀だった時代の話だ。当時20代だった私は、会社に勤めたばかりの冴えない独り身であった。

 朝起きたら、赤い糸が見えていた。
 比喩表現ではない。確かに自分の小指に赤い糸が結ばれているのが見えていた。
 そして、赤い糸が、長く伸びているのが。

 いや見えたと言っても、ぼんやりと蛍の光のような、そんな頼り無い光だ。でもたしかに見えていた、赤い糸が。
 見た途端、これは運命の赤い糸だと確信した。

 そう気づいたら、もう居ても立ってもいられなくなった。
 私は運命の赤い糸をたどることにしたのだ。
 今、この赤い糸が見えているときに、出会っておかなければ、一生会えない可能性だってあるのだ。

 ただでさえ、異性には縁がないのだから、これは最後のチャンスかもしれない。ある意味、人生最大のイベントだ。
 そんな時に仕事なんて行けるわけが無い。これは、無断欠勤決定だ。

 そう決断し、私はその糸をたどり始めた。
 確実に、たどっていこうとゆっくりと歩き始めた。
 とにかく、このような大事な場面には、正確さがポイントだ。早さは、問題ではない。

 私には、何か、確信めいた予感があった。

「運命の人はすぐ近くにいる」のだと。

 だからこそ、見えるはずがない赤い糸が見えるのだと、変に納得していた。

 ゆっくり、ゆっくりと赤い糸をたどっていく。
 普通の人から見ると、さえない男がブラブラと歩いているようにしか見えなかったであろう。
 だが、私は天竺を目指す三蔵法師一行のような信念をもって、確実に一歩づつ、目的地へと向かっていたのだ。
「運命の女性がいる所」へ。

 2時間くらい歩いた頃だろうか。
 本当に、たどり着いたのだ。運命の女性のところに。

 外資系CDショップの試聴コーナーに彼女はいた。
 確かに彼女の小指から私の小指へと赤い糸がつながれているのが見えた。
 年の頃なら20代半ばといったところだろうか。
 容姿はデビューしたころの中谷美紀のような知的だが、少し陰がある感じの美女であった。
 そんな女性と、運命の赤い糸で結ばれている!などと思うと、ただただ神様に感謝した。今までの辛い人生は、まさにこのためにあったのだ、などと思った。

 ところがだ、さてその女性に声をかけようと思い、一歩踏みだそうとすると、足がすすまない。
 いや、人生の一大事だから緊張しているのかなと思い、深呼吸して、さて一歩と思っても、足が動かない。
 それどころかむしろ後ろ方向に引っ張られている気すらするのだ。
 それで、ふと後ろを見るとで、何やら恨めしそうな顔をしたさえない男性達が、大勢で私の赤い糸を引いているのだ。

 私は即座に納得した。
 ああ、こいつらが私の人生を孤独な方向に導いていたのだ、と。
 いわゆる亡者だ。
 もてなかった人達の恨みが、蓄積して他の人達も孤独の世界へ引きずり込もうとしているのだ。
 私は、まさに亡者の犠牲になろうとしていたわけだ。
 おそらく、今まで目に見えなかった赤い糸が見えるようになったように、普段なら見えないであろう亡者の存在も見えるようになったわけなのだ。

 しかし、そんな亡者たちに構ってはいられない。
 私は目の前にいる運命の女性のもとへたどりつなければいけないのだ。
 とにかく、亡者たちを殴り倒してでも、追い払わなければいけないと思い、拳を振り上げた時、「蜘蛛の糸」という言葉が浮かんだ。

 そうだ、これは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のシチュエーションそのものなのだ。
 蜘蛛の糸を使って仏様のかけた一片の慈悲を、主人公の罪人は「自分さえ助かればいい」というエゴによって、それを無駄にしてしまい、また地獄に堕ちるというあのシチュエーションだ。

 おそらく、ここで亡者を殴り倒そうとしたら、運命の赤い糸は切れて、私は、また孤独なる地獄へと堕ちることとなる。

 ここは、亡者たちを、優しく慰めるべきなのだ。
 私は彼らに向かって呼びかけた

「ほら、こんな私でも、あんなステキな女性と巡り会えるんだ。だから君たちもいつか、巡り会えるはずさ。私は、たまたま、少しだけ早かっただけだよ。大丈夫だよ、君たちだって・・・」

 ところが、亡者たちは有無を言わさず、思い切り私を引きずり、とうとう運命の赤い糸は切れてしまい、何も見えなくなった。

 そんな理由で私は現在も相変わらず独り身である。

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