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【ふしぎ旅】お転婆地蔵

 新潟県魚沼市(旧堀之内町に伝わる話である。

 昔、町はずれの墓地の入り口に、大きな石地蔵が立っていた。この地蔵さまは通る人に「わしを盆踊りに連れて行ってくれよ」と頼んだが、あまりにも大きいので、誰も応じてくれなかった。
 あるとき、甚助という力持ちの若者がここを通り、同じように頼まれ
「わしが連れて行ってあげましょう」
と言って背中を出した。
 しかし、この地蔵様は身長6尺、重さ四十貫もある石大仏だったので、甚助はまず帯でしっかり、背中に結び付け「よいしょ」と掛け声をかけて立ち上がった。

 すると地蔵さまは、ふわりと子どものように軽くなっていた。
 こうして地蔵さまは甚助に背負われて、盆踊りに行き、一晩中楽しく踊った。
 そして帰ろうと再び甚助が背負ったところ、今度は重くて、怪力の甚助もようやく墓場まで連れ帰った。
 それから、この地蔵さまは毎年2,3回づつ甚助のお供で盆踊りに出かけたという。
 人々はこの地蔵さまを「お転婆地蔵」と呼んだ。
 今も町はずれの旧火葬場跡の片隅に愉快な姿で立っている。

小山直嗣『新潟県伝説集成中越篇』
お転婆地蔵

 お地蔵さまにまつわる話は多くあるが、盆踊りに行く地蔵の話というのはあまり聞かない。
 お地蔵さまは祀られ、本来であれば踊りを奉納されるはずだからだ。
 それが、自ら踊るというのだから、妙に、親近感がある話ではある。
 
 もっとも、盆踊りが、そもそもご先祖様の供養のために行われるものであり、お地蔵さまも、供養のために作られているものもあるので、それだけを考えるとあながち間違いではない。
 とりわけ、このお地蔵さまは墓地の入り口にあるので、ご先祖様とは密接な関係にあるだろう。
 あるいは、ご先祖様の中に、踊り好きな者がいて、墓参の時に、そんなことを思い出し、お地蔵様の顔が、ご先祖様に思えてきて、というあたりから出来た話かもしれない。

お転婆地蔵と墓場

 実は、このお転婆地蔵、捜すのにかなり時間がかかった。
 地元の観光案内などにはなく、かなり以前に作られた史跡マップを、なんとか探し出したものの、それもそんなに詳しい場所は載っておらず、何度も近くを通り過ぎていた。
 ようやく、見つけ出したものの、ある場所は共同墓地の一角。
 地元の人も墓参りの時期にしか行かないようなところに中年男性が一人。
 明らかに怪しい。

お転婆地蔵

 ということで、写真を撮影したら、そそくさと退散した。
 実際に見てみると、かなり大きい地蔵様であるが愉快な姿というわけでもない。
 むしろ、かなりの小顔でスラリとしており、モデルのような体形でもある。
 こんなお地蔵さまが踊っていたら、さぞかし見栄えがしただろう。
 とすると、もともと踊り好きな者がいて、鎮魂のためにその者をモデルに、この地蔵さまが作られたという妄想も出来るだろう。

 さて、地蔵様を、甚助という力持ちの若者が運んだという話であるが、ここまで大きい地蔵様ではないが、石仏のたぐいは、とかく若者たちの力比べで使われることは少なくない。遠野のさすらい地蔵なども、確か若者たちが、力比べで色々と運んでいるから一か所にとどまっておらず「さすらい地蔵」と呼ばれていた。

さすらい地蔵

 そう考えると、この勘助なる若者は、力比べをする若者達の総称で、お祭りの行事の一つとして、この地蔵を墓場から盆踊り会場まで運ぶということがあったのかもしれない。その年ごとの勘助なる者がいたというわけだ。
 あるいは、勘助は一人でなく、何人もいて、御神輿の様にして地蔵をもって、街中をねり歩くなどということがあったのかもしれない。
 こうやって、架空の祭りをでっちあげ、妄想しつつ、地蔵を見ていたのだが、やはり傍から見ていると短時間であっても怪しい存在だったろうなと思う。

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