知は発明・生産され、智恵は発見・発掘される
今、世の中に多くの社会的課題が山積している。しかし、政治の世界は国民の声に耳を傾けているだろうか。筆者が身を置く人文学・社会科学の世界は応答できているだろうか。
学問の世界では専門領域のタコつぼ化が指摘され学際性の重要性が唱えられて久しい。現実はどうか。昨年度後半から「未来社会を見据えて、そこで求められる新しい考え方や技術、社会的課題を提示するとともに、人文学・社会科学を軸とした学術知を共創する」ことを目的とする文部科学省事業が実施されている。
この「学術知共創プロジェクト」事業は具体的には三つの大きなテーマ、すなわち
「将来の人口動態を見据えた社会・人間の在り方」
「分断社会の超克」
「新たな人類社会を形成する価値の創造」
を掲げ、研究者間のネットワークや新たな知識基盤の構築、および人文学・社会科学と自然科学の双方を俯瞰できる人材の育成と世代間の協働に取り組みはじめた。筆者は二つ目の「分断社会の超克」のテーマ代表を務めている。
2021年1月24日、その幕開けとなる「分断社会の超克~共感・共創・共生~」ワークショップがオンラインで開かれ、12国立大学および公立私学3大学の多様な研究者に加え、NPO法人運営者や企業人など41人が参加した。分断の心理を克服するための「共感」、科学と文化の「共創」、社会的・文化的分断を乗り越える「共生」という三つの柱をたてて議論し、課題解決に向けチームビルディングをはじめた。
そして9月13日、分断社会の超克の第2弾のワークショップ「専門知をめぐる格差」が開催された。今回は参加者の他にワークショップの様子を視聴できるように登録制度で視聴者枠を設けたところ、120人を超える方々が参加した。
グローバリゼーション、リスク社会、多文化主義の危機、個人化社会といった20世紀から21世紀をまたぐ大きな変化のうねりの中で、分断社会、すなわち共助が困難な現実に私たちは生きている。文化と科学の分断が、環境問題や災害対応などの問題を適切に認識することを困難にし、解決策の有効性を減ずる原因にもなっている。科学技術が生み出す知には普遍性がひとつの特徴としてあるが、その知の生産は、国、地域、組織の資源量に大きく依存するため、専門知のイニシアティブをめぐっても分断や格差が生じている。
このような認識のもと、前半のパネルディスカッションでは、気候変動問題、知識生産の構造的問題、実務家視点の地域医療について話題提供があり、後半のグループディスカッションでは、この文化と科学の分断および専門知をめぐる格差の問題を問い直し、分断社会の超克から共生社会の方途を議論した。
従来、専門家と一般市民の関係は、専門家から市民への知識の一方向の流れを仮定していた。つなわち、市民の知識欠如モデルである。その考え方は今も根強くあるが、社会生活においては一般市民の方が狭い分野に生きる専門家よりも賢明な判断ができるという主張もある。民衆の知恵(宮本常一)だ。専門家には専門家集団以外に言葉で説明するのが難しい暗黙知も存在するが、専門家が社会向けてある判断を意見表明した際には、その専門知に対して、一般市民が意義申し立てすることが社会的に許容されることが必要だ。一方で、批判のための批判になっては社会問題は解決されない。分断社会の超克にむけて、専門知、現場知、智恵、アクターの協働、共創、足元から取り組み、よりよき社会を作っていきたい。
知は発明・生産されるが、智恵は発見・発掘されるものと言えようか。学術、政治、あるいは宗教、どの世界にも、人類の営みの中に生き続けてきた智恵がある。そして、様々なアクターの共創により発明・生産される知とのハイブリッドにより分断社会が超克される。そう信じたい。
本稿は、以下をもとに加筆修正しました。
稲場圭信(2021)「時事評論:分断社会の超克という課題 知と智恵のハイブリッドを」『中外日報』、2021年9月29日
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