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分断社会の超克に向けて

 今、専門家の助言をめぐって議論があります。新型コロナウイルス対策における専門家会議の助言について、大阪大学名誉教授、小林傳司先生は、7月2日の朝日新聞にて、「責任を追及するだけでは、危機管理に協力する専門家はいなくなる。大きな社会的損失」であるとし、「政治が責任を取る姿勢を示し、政策決定のプロセスを明らかに」する必要性を指摘しています。

 この新型コロナウイルス対応のさ中に発生した令和2年7月豪雨に対して、災害ボランティアや減災・復興の専門家ではなく、災害支援の実践家と社会福祉協議会の声によって、県境を越えての支援活動の自粛が呼びかけられました。多種多様な声、相反する考え方がある今、わたしたち一人ひとりはどの意見を信じて意思決定し、行動すればよいのでしょうか。

 環境や人の健康に重大な悪影響が生じる危険性がある場合には、その科学的証拠が不十分であっても対策をとるべきだという予防原則の考え方があります(藤垣裕子『科学者の社会的責任』)。そして、専門家の意見が分かれる時に、それを市民が知りうることも重要という考え方もあります。

 これは、ハーバーマスの公共空間における議論にも接続します(『公共性の構造転換』)。何が正しいか不確定な状況下にあって、公の問題について、専門家、行政、市民、企業、様々な社会的アクターが意見を交換し、議論を通して社会的合理性を構築していくことが重要です。

 では、専門家と一般市民の関係性はどうなっているのでしょうか。
科学的知識の社会学を専門とするコリンズとエヴァンズは、『専門知を再考する』という本の中で、「我々が専門家や専門知への信用を失ったせいで、科学技術ポピュリズムの時代が到来せんとしているように思われる」と指摘しています。

知の伝送という発想の転換、閉じた知からの脱却
 従来、専門家と一般市民の関係は、専門家から市民への知識の一方向の流れを仮定していました。つなわち、市民の知識欠如モデルです。その考え方は今も根強くありますが、社会生活においては一般市民の方が狭い分野に生きる専門家よりも賢明な判断ができるという主張もあります。民衆の知恵(宮本常一)です。専門家には専門家集団以外に言葉で説明するのが難しい暗黙知も存在しますが、専門家が社会向けてある判断を意見表明した際には、その専門知に対して、一般市民が意義申し立てすることが社会的に許容されることが必要です。一方で、批判のための批判になっては社会問題は解決されません。

 20世紀のスペインの哲学者オルテガは、一般市民ではなく、大衆という言葉を使いました『大衆の反逆』)。オルテガにとって、大衆であるかどうかは階級や専門家であるかどうかとは無関係です。その人の精神、生き方にあります。困難に立ち向かう人であるか、ただ社会の体制に流れ漂う人、すなわち大衆であるか。大衆批判は専門家にも向けられています。90年前、オルテガはスペイン、欧州の状況を問題にしました。今、日本は、世界は大丈夫でしょうか。

 20世紀から21世紀を跨いだ期間、社会は大きく変化しました。私たちは、無縁社会、格差社会、リスク社会、災害頻発の社会に生きています。社会は分断され、他者と公的私的な諸課題をシェアすることが困難となった社会。そこに、パンデミックが起きました。環境問題、パンデミック、自然災害などの危険はあらゆる人にふりかかります。近代化により安全地帯で暮らす「私たち」と危険なところにいる「他者」という構図は崩壊しました(ベック『危険社会』)。

 時代の変革、新たな社会の創造において、共創知はどのように生まれるのでしょうか。生命科学を専門とし、場所論を提唱する東大名誉教授の清水博(『場の思想』)は、人間が生きていくうえで重要な「場」として、異質な世界から自分の世界を眺めることや、考え方や文化的背景の違う人々と付き合うことの重要性を指摘します。さまざまな共同作業を通して、人々が互いの価値観の衝突を乗り越える経験をする、私は、価値観の衝突は心の栄養剤と言ってきました(『思いやり格差が日本をダメにする』)。

 ポストコロナの社会について、世界秩序の機能不全、脱グローバル化、自国第一主義の高まり、格差のさらなる拡大という非常に暗い、ネガティブな見方があります。その一方で、この感染症との戦いには国際的協力体制が必要と、共生社会への希望を語る人もいます。(フランスの経済学者・思想家、ジャック・アタリ)

 新海誠監督の映画「天気の子」の結末では、関東は大雨が何年も続き、都心の海抜の低いところ大部分は海に沈むが、日常生活も続きます。コロナ禍でも日常生活は続き、私たちは、いつかはウイルスと共生していくでしょう。

 しかし、私たちの生きる社会は変わります。利益効率重視の社会ではない、ポスト資本主義、「いのち」重視の社会です。社会の枠組みが大きく変容している今、「共生」は世界的なテーマです。共生社会にむけて、理想主義と揶揄されようが、すぐに成果が見られなくとも粘り強く取り組みを継続する姿勢が大切なのではないでしょうか。

 ある特定課題を研究する組織、学術集団には、暗黙知専門知もあります。一方で、異なる立場で分断されている世の中にあって、社会の潤滑油のような働きをしている実践者もいます。分断社会の超克にむけて、専門知、現場知、智恵、アクターの協働、共創、足元から取り組み、よりよき社会を作っていきたい。支えあう社会になって欲しいと切に願っています。

 本稿は以下に加筆しました。エッセンスは以下をご覧ください。
「分断社会の超克に向けて 宗教者の暗黙知、専門知を」
『中外日報』時事評論、2020年7月31日
https://www.chugainippoh.co.jp/article/ron-kikou/jiji/20200731.html

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