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FF14:黄金のレガシー所感 ※ネタバレ注意





※黄金のレガシーメインクエストの重大なネタバレを含みます。








メインクエストをクリアしたので、ひとまず初見感想。あとから思うこともあるかもしれんが。結構長いので、先に結論を言います。

【総評】


面白かった。確かにストーリー自体はイチからの積み上げだから物語の厚みとしてはやや物足りなかったり、正直ちょっと無理あるんじゃないっていう都合のいい展開があったりしたが、それらに目をつぶれるくらいの一貫したテーマ性があったと思う。それはハイデリン/ゾディアーク編のゴール地点だった「なぜ生きるか」の物語から、「どう生きるか」の物語へと歩みを進める旅路であり、だからこそ何者にも縛られない「冒険者」という元来の”らしさ”に回帰できたんじゃないかと思う。粗削りではあるものの、今後数回の拡張を通して臨むことになる我々の冒険、その嚆矢としてぴったりの作品だったといえるだろう。



ではここから、順を追って振り返りたいと思う。


1-1 トライヨラ~91ID


 トライヨラ、曲すばらしい!昼のワクワク感たるやもう。ちょうど昨年ディズニーランドでビッグバンドビートを見たので、その印象と重なったのも高揚の一因かもしれない。
 ウクラマトは6.x時点で自分はまあまあ好感持っていたのだが、「お年寄りに支持者が多い」という点は若干気になった。高齢者向けの政策ばかりアピールしている政治家はカス。でもまあ彼女はそういうことではないんだろうな。
継承の儀の前フリがあったあとは主にハヌハヌ族とペルペル族のストーリーで、まあどちらもはっきりいってただの世界観の構築要素ではある。ただ今回は、序盤からウクラマトが繰り返し言っていた「知ることで好きになる」というセリフがかなり印象的で、お使い要素も楽しめた気がする。これはウクラマトの思想であると同時にFF14のストーリーに向かう心構えでもあり、プレイしているとダルいだけのお使いクエストも、後で振り返るとそれを経てキャラクターを好きになっていったんだなあと思うことがある。メインクエストはどうしても続きが気になって効率よく進めたいと思ってしまうが、「じっくり進めることが価値になる」という考え方をユーザーに提示するのは上手いと思った。まあそれをウクラマトに言わせるのはやや教訓めいていた気もするが……w
ビジュアルアップデートが実感できたのもうれしい。特にマップ背景の草や花は密度が格段に違っていると感じた。景色がきれいなゲームなので、このへんが改善されたのはすばらしい。


1-2 初期2マップ後半部分~ヴァリガルマンダ


 正直あんまり印象ないが、黄金郷へ少しずつ近づいているワクワクはあった。あと、このあたりからだんだん、ウクラマトの成長ぶりが明確になってきたと感じる。ラマチはちゃんと失敗を次に活かせるし、相手を慮って対話ができる。どこかの赤い女と違って。
 一点残念なのは、せっかく戦闘メンバーに入ったのにあんまりクルルさんが話に絡んでこないことだった。後半はもちろんキーパーソンになるのだが、もっとこう……リビングメモリーのあのシーンに向けた布石を打っておいてほしかったというのは思った。


1-3 ヤクテル樹海~継承の儀終わり


 ゾディアークが83レベルで出てきたときも驚いたけど、95レベルで継承の儀が終わるというのも驚きだった。このへんになるとウクラマトはもう完全に王の器。やっぱり上に立つ人はリーダーじゃなくてバランサーであるべきなのよ。ただ「コーナ兄さんを理王にしていいか?」とか聴衆に聞いてたけど、断れる雰囲気じゃないだろアレ。
 天深きセノーテあたりの水子供養(じゃないけど)みたいなのはホラーとかだとまあある展開だけど、FF14でそれをやると生々しさが出るなあと感心した。しかもマムージャっていうのが上手。受胎する(であろう)種族で実験体みたいな話になるとさすがに生々しすぎるけど、卵生の生物だと人間っぽさから離れるしちょうどいいと感じた。
 これは私自身の経験から言えるのだが、やはり歪な人間は歪な環境から生まれる。だいたい親のせい。そういう意味ではバクージャジャは被害者なのだけど、でもまああんなに簡単に改心もしないだろうなと思う。人間はそう簡単には変わらない。
 そして個人的にはヤクテル樹海の昼BGMかなり好き。情熱大陸のエンディングみたい。


【前半まとめ】


 もともと継承の儀に参加することはわかっていたのだが、そこにはやはり懸念もあった。というのも、FF14は「ヒカセンが主人公であるべき」という鉄則があるからだ。かつて紅蓮の編(特にアラミゴ)で我々が経験した「置いてけぼり感」。魅力的なキャラ(赤い女以外)ばかりのはずなのになぜ……と思ったものだが、やはりというかなんというか、ユーザーからそのストーリーは評価されなかった。今回の黄金編、ストーリー序盤の走り出しはまさしく同じ状況で、だからこその懸念があったわけだ。
 しかし、ウクラマトを見守る保護者としてのヒカセンのあり方、そしてそれを操作する私の心持ちは、紅蓮編と何か違っていることに気づいた。その要因はおそらく2つ。
 1つ目は、暁月までを経験した我々には「すでに成してきた」ものがあることだ。自分自身が結果を出すフェーズから、後進の育成をするフェーズへ。その後ろ盾としての経験があるのは大きい。
 2つ目は、ヒカセンの立場があくまで「冒険者」であることだ。思えば蒼天編からこちら、ヒカセンの旅にはどこかで強制力がはたらいていた。竜詩戦争の解決、帝国からの解放、第一世界の救助、終末の阻止……ヒカセンの双肩にはいつも重い荷物が載せられていて、たしかに魅力的な冒険ではあるものの、「降りる」こともできなくなっていた。そしてその旅にいつも寄り添う「暁」はもちろん心強い仲間である一方で、どこかでヒカセンを「組織」に組み込む存在でもあった。だが、黄金編の継承の儀ははっきりいってヒカセンが解決すべき問題ではない。つまり黄金編のヒカセンは「降りる」自由がある「ただの旅人」であるのだが、それが逆説的に「ヒカセンは能動的にこの冒険を楽しんでいる」ことの証左となっている。これが魅力となって、ウクラマトに振り回される姿を楽しんで見られたんだと思う。
 ただ、まあ正直なところ、良くも悪くもウクラマトが主役の話にはなっているため、彼女をすんなり受け入れられるかどうか……そしてそれ以上に、自キャラが「オブザーバーのポジションがしっくりくるかどうか」というのが重要になってくると感じた。このへんは自キャラの捉え方次第な部分で、感情移入度が高すぎるとストーリーへの拒絶反応もあるのかもしれない。



ここから後半。

2-1 サカトラル入り~スフェーンと会うまで


 シャーローニにおける荒野の掟?あれヤバすぎる。イシュガルドの決闘裁判(勝った者が正しいとする制度)と同じじゃねえか。あと最初に出会うアイツがあんまり好きになれなかった。
ゲートが開くあたりから。異文明が入ってくることはわかっていたが、ゾラージャを受け入れたのはなぜだろう?黄金郷の扉と鍵が揃っていたとはいえ、最終面接みたいなのないんか?とは思っていた。後々考えるとスフェーンとしても苦肉の策ではあったけど、利害は合致してたから受け入れたんだろうなあ。
 鏡像世界の話が入ってきたことところは驚き。と同時にエメぴの最期のセリフがまたフラッシュバックして感動を覚えた。でもエメはあの時点で、新大陸の眩き黄金郷=鏡像世界の驚くべき文明ってことは分かって言ってたのかな?分かって言ってたんだろうなあ。
ヴァンガードのBGM、かっこいい。

2-2 スフェーンと会ってから~ゾラージャ撃破


 このへんからFF9要素がガンガン入ってきて懐かしくなった。アレクサンドリアの街並みや要所要所のBGM、オーティスの技名がスタイナーの剣技と似てるとか……
 ストーリー的にはわりとスフェーンが良き王であることの深堀りになっていて、まあ良き王ではあるんだろうけど、仕草やセリフ回しがあざとくてずっと警戒していた。あぶねー。俺が童貞だったら死んでいた
 グルージャが出てきたのはいいんだけどお母さん誰なんだ?が気になってあんまり入り込めなかった感はある。そのへんのマムージャ族適当に捕まえたのか?でもエバーキープにマムージャいたっけ?外縁部にはギリいたのかな?ゾラージャ、こんだけ強敵になるならもっと掘り下げがほしかった感はある。ゾラージャ戦のBGMは非常によかったです。
余談だが、ウクラマトがゾラージャに対する怒りを露わにするシーンが何回かあって、彼女は拳を握りしめるんだが、爪が長すぎて絶対に刺さってるんだよな。どうやってんだ?刺してんのかなもう。

2-3 エンディングまで


 いよいよスフェーンの真の目的が明らかになるフェーズ。魂を吸って、”愛すべき民”である死者たちを保存するために使う……ラスボスの目的の落としどころとしてはかなり上手だったのではないか。毎回ラスボスの目的とかってどんどん壮大にしないといけなくて、それはかなりハードル高いだろうに、よくやってるなあと感心した。ところでこれは純粋に疑問なのだが、原初世界は魂のエーテル量も7倍なんじゃないのか?最終的にスフェーンは鏡像世界のほうにターゲットを切り替えてたけど、もしそうだとしたらさすがにかなり効率の悪い方法を採ることになる。まあそれだけ切羽詰まっていたともいえるか。
バックルームやリビングメモリーで忘れられた人々のことが出てきたのもうれしかった。拡張の前にアロアロ島をしっかりやっていたこともあって、神子像の祭祀場やその秘宝、氷の霊災(第四霊災?)の影響とか、パズルがはまっていく感じで気持ちよかった。あれがクルルのルーツになっていたとは。で、これも純粋に疑問なのだが、ということはクルルは廻り回って原初世界の出身と考えていいんだよね?アレクサンドリアのある鏡像世界に渡った人々は原初世界の人、つまりその子孫のクルル両親も原初世界の人、つまりクルル本人も……となれば、クルルがちゃんと戦闘でついてこれるのも納得。原初世界の人は鏡像世界の人より(フィジカル面では)強いはずだから……
 最終エリアであるリビングメモリー、いやーそうきたか、と思った。全体がディズニーみたいでものすごく美しい。温かく、それでいてどこか物悲しいBGM。だからこそ、ターミナルシャットダウンの演出が引き立つ。
 これはメタ的な視点でもすごくよくできていて、リビングメモリーのテーマは永久人たちとの別れなのだが、まあそれははっきり言って現実世界の我々には実害のないことだ。もちろん多かれ少なかれストーリーに感情移入しているのだから、オーティスを見送るのはつらいし、クルルの両親にはいつまでもいてほしいし、カフキワを失って悲しむエレンヴィルを見たくはない。でもまあ別にそれはいちキャラクターの喪失の話であり、画面の前で見ているプレイヤーにとって痛みのないことである。しかし、ではそれがスクショ映えするフィールドだったらどうか。美しいフィールドで写真を撮りたい、仲間たちを集めて、あのランドマークの前で……という欲求は、FF14プレイヤーなら誰もが持っているはずだ。だからこそ、そのフィールドをみすみす自分の手で無味乾燥なエレクトロープの集合体にしてしまうのは、プレイヤーとしてこの上なく苦しい。私は選択肢などパッっと決めるほうだが、さすがにターミナルの操作は2度ほど「いいえ」を選んでしまった。「大切な人との別れを自分自身で操作しなくてはならない」という、クルルやエレンヴィルと同じ状況を、実感できる形でプレイヤーに課すという見事な戦略になっていると思った。
 あとエレンヴィルが泣かなくて助かった。エレンヴィルが泣いてたら俺もマジで泣いてたと思う。
 不満点をしいて言うなら、「消えたくない」みたいなことを言う永久人が多少いてもいいのかなあと思った。みんな割と消えることに達観してて、受け入れてるように感じたから、スフェーンの行いがほんとうに独善的なものに見えてきてしまった。モブキャラはもっと生に縋ってほしかった。
 エンディング曲いいですね!しかも曲名が「Smile」!笑顔を守ってきた民たちが、みんなで歌っているような演出ですばらしい。
 最後にスフェーンのティアラが光っていたのはもしかして……そういえば彼女のレギュレーターは特別仕様って言ってたっけ……次回作のナレーション決まったな。

【後半まとめ】


 前半が「ともに生きる者たちのことを知り、理解すること」をテーマにしていたのに対し、後半は「死にゆく者たちのことを知り、その思いを受け継ぐこと」がテーマであった。あれ?これってどこかで見たような……

シャドウブリンガー!

 結局はここに回帰する。まあそりゃそうだ。旅の途中で出会う人がいる以上、その思いを引き継いでいくことは「冒険」につきものだからだ。
そしてともに生きるにしても思いを受け継ぐにしても、結局はまず「知ること」が必要である。ウクラマトはその重要性を繰り返し唱えていた。これはある意味、「知らずに争っている」現代への警鐘にも思える。現実の戦争もそうだし、SNSなどに溢れる論争もそうだ。ウクラマトのように相手を重んじ、バチギレしてるのもかかわらず事情を慮れるような人間が増えれば、この世も変わってくるのかもしれない。


【補遺】


 哲学の入門書として有名な「ソフィーの世界」という作品がある。主人公のソフィーが「あなたはだれ?」「世界はどこからきた?」と書かれた手紙を受け取るところから始まる。自分がなぜここにいるのか知りたい、そして世界の成り立ちについて知りたいというのは、思春期の我々が持つ最も根源的な問いである。これに真摯に向き合ったのが暁月までのFF14で、「生きる意味なんてなくても、私たちの思いは誰かに継がれて明日へ続いていく」という答えを得てメーティオンは飛び立った。しかし、これは「どう生きるか」とは別の話である。ソフィーと同じ問いを考えていた思春期の子どもは大人になり、では自分はどう生きるか?を考えなくてはならなくなる。その部分を描いたのが黄金のレガシーである。いわばメーティオンの得た答え、「誰かに継がれて……」の、継がれる側の「誰か」を描いたのが本作だといえるだろう。
 それと同時に、「知ることで好きになる」という考えは、今拡張にのみ適応されるものではないことも重要だ。今後数回の拡張はこの「新しい冒険」編になるだろう。マイナーパッチも含めれば、数えきれないほどの細かなストーリーが増えてその分知ることも増える。それらを億劫だと思うのではなく、試しにやってみたら?もっと好きになれるかもよ、という開発からのメッセージかもしれない。これを吉田が言っているとするとやや教訓っぽさも出てしまうが、今の開発メンバーには「FF14が好きで入社した」ようなスタッフも多いと聞く。そういった、いわばFF14をともに楽しむ仲間からのメッセージだととらえると、素直に受け取れそうな気もする。
 全拡張の中で私が最も好きなのは漆黒のヴィランズなのだが、特に後半はそれに通底するテーマが出てきて楽しかった。リビングメモリーはもはやアーモロートでもある。俺ら家族だよな、エメチ。
 
 最後に不満点をもう一つだけ。ウリエンジェが足りない。もっとふざけさせろ。

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