尾崎世界観は和歌の名人である

 いきなりワケわからんことを言ってすいません。でもそうなんです。

 尾崎世界観といえば世を時めく人気バンド、クリープハイプのボーカルであり、ほとんどの楽曲制作を手がける中心人物である。今や街を歩けばどこかしらから聞こえてくる高音の、拗ねた子猫のような歌声。最初は「なんだコレ」とか思っても、いつの間にかそれがクセになり、耳に残るギターリフと現実的でウィットに富んだ(あと下ネタにも富んだ)歌詞世界も相まって、皆あれよあれよとファンになってしまうのだ。かくいう私もそこまで大ファンではないものの、一応アルバムは全て聴いており、フェスで名前を見ればまあだいたい見に行く程度は好きなバンドである。

 さて、表題の件であるが、フロントマンの尾崎世界観、とんでもない和歌の熟達者である。現代の在原業平である。そんなにイケメンじゃないのにめちゃくちゃモテるのも一緒だ。うらやましい。1人くらい分けてくれ。

 さて、彼はもちろん本物の和歌を作っているわけではないのだが(いや趣味で作っているかもわからんが)、何をもって歌人といえるのか。その理由は、古典で描かれるような和歌の技法(修辞法)にある。クリープハイプの歌詞には、このような和歌の修辞法が随所に散りばめられている。

 

 高校時代の古典で学んだ(はずの)和歌の修辞法、みなさんは覚えているだろうか。ひとつの語に同じ音の別の語の意味を込める掛詞(かけことば)、ある語を導くために前置きの文章を置く序詞(じょことば)、中心となる語に関連したワードを使うことで統一感を持たせる縁語(えんご)など、和歌にはさまざまなテクニックが存在する。先に挙げた在原業平を主人公とする「伊勢物語」の中には、このようなテクニックがふんだんに用いられた有名な一首がある。

 唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ

 この和歌は、都に妻を残したまま遠くに行かねばならない旅のつらさを詠ったものである。この和歌について、とくに目につく2つの修辞法を紹介したい。

掛詞・・・「なれ」は、服が「褻れる(生地がくたびれて身体になじむ)」と「馴れる」の2つの意味が含まれている。「新品の服が身体になじんでいくように、馴れ親しんだ妻」というような意味。他に「つま」「はるばる」「き」も掛詞。

縁語・・・上記の「なれ(褻れ)」「つま(褄)」「はる(張る)」「き(着)」はすべて、「衣」の縁語である。同じテーマの語を用いることで、歌に統一感が生まれている。

 上記2つの修辞法をよく覚えておいてほしい。次に引用するのは、クリープハイプの曲、「エロ」の歌詞である。今回注目したいのはBメロの歌詞。

君は本当にうまいよなぁ 全く歯が立たないよ

 ここで用いられている「歯が立たない」とは、慣用句的な「かなわない」という意味でもあり、「フェラチオの際に全く歯を立てることがない」という意味でもある。この手法はまさに掛詞である。他に、「手」という曲では

馬鹿みたいな低反発の夜を抱きしめながら 枕じゃなくて真っ暗だなとか呟いてみる

 とも歌っている。ここでは直接的に2語を用いているが、使われている手法は掛詞のそれである。

 また、新曲の「栞」では、縁語的な語の用いられ方がされている。この曲は主人公の失恋を描いたものであるが、随所に読書に関連した語が散りばめられているのだ。

簡単なあらすじなんかにまとまってたまるか

あとがきに書いても意味不明な二人の話

この気持ちもいつか手軽に持ち運べる文庫になって

 など、本・読書をテーマとした語がしばしば登場し、曲全体に統一感を生んでいる。これはまさに縁語の効果と同じである。他にも「コンビニララバイ」「2LDK」など、メインストーリーとは直接関係してこないものの、一貫したテーマの語を盛り込んだ曲は多くある。「5%」の、

この気持ちは一番搾りでも 君はいつもスーパードライで

 の一節は見事だ。

 実際このような手法は、現代ポップにおいては、桑田佳祐も藤原基夫も行ってきたことではある。しかし、クリープハイプにはそれが際立つ魅力があり、我々を惹きつけてやまない何かがある。そこにはもしかしたら、日本人が古来から受け継いできた美意識が介入しているのかもしれない。

 でもモテてるのは許せん。1人わけろ。

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