随筆:苦労と楽についての考え

2023-06-07『労働新聞』5面
日本語への翻訳は投稿者によるものです。

しばしば、人生の甘味は楽に、苦味は苦労に例えられる。
甘味と苦味が互いに噛み合わないように、苦労と楽という言葉は両立できないという意味である。
だが最近は、苦労と楽、この二つの概念がいかによく調和するか、という考えが時々めぐる。
敬愛する金正恩同志は、次のように述べている。
「苦労なくして楽が来るはずがなく、つらい闘いなしには未来を楽観視できません。」
この間、西浦地区の新しい市街の建設場で出会った、ある女子突撃隊員が今でも忘れられない。
あと少しで18歳、平壌から遠く離れた地方都市より来た彼女は、突撃隊員から愛される革新者だった。つらくないのかと聞くと、彼女は明るく笑いながら答えた。
「つらくないはずがないでしょう。生まれてこの方両親のもとを離れたことがなく、建設の作業も何から何まで素人ですが、私も党と祖国のために青春時代を捧げていくんだと考えると、どんな苦労も楽へと変わるのです。」

苦労を楽ととらえる娘、
首都の西浦地区の新市街建設場だけでなく、数千の地下坑道や農場、全国のあちこち、このような頼もしい青年がどれほど多いことか。
ただ単に、全身に若さが溢れる青春の血気がそうしているのではなく、昔から「若い時の苦労は金を出しても手に入らない」という言葉のためにそうしているのでもない。
青春の理想を党の構想と一致させ、その実践のために力と情熱を惜しまず捧げることほど大きな喜びと誇りはないという、高尚な人生観がもたらした応分の結実である。

これは青年だけの話なのか。
われわれの周りには、人民のためのことなら、どんな苦労も気にとめない立派な活動家や、いつでも大衆の前に立ち、2倍、3倍と働いても、それを楽ととらえる党員、苦心惨憺たる探究の未踏の道も笑顔で進む科学者が、数えきれないほど多い。
受け持った哨所と仕事はお互いに違えども、党についていく道では喜びも栄光、試練も栄光であるという、揺るがない信条を抱いて暮らすわれわれ人民であるから、過去10年あまりの間、これほど厳しい環境の中でも、黎明通り、松花通り、和盛通りをはじめとする新たな市街、新たな村を各所に築き、農村が変わり、地方が変わる新時代を切り開いてきたのではないか。

そうである。われわれの行く道は、母なる党についていく道であり、その道はいつでも勝利が約束されており、われわれは誰もが口を同じくして語る。われわれは苦労を楽ととらえるのだと。
その高潔な人生観を抱き、人生の一日一日、瞬間瞬間を、忠誠と愛国で綴っていく人民がいるから、わが祖国はこれほどに強いのである。

本社記者 キム・ソンイ

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