僥倖を期待することは禁物

2023-06-17『労働新聞』5面
日本語への翻訳は投稿者によるものです。

どんなことでも、僥倖を期待するのは、革命を行う人の活動態度ではない。
特に、自然被害を最小化するための事業でそれをするのは、活動家として禁物である。
ある郡党委員会の事例を見てみよう。
あるとき、河川整理事業を視察していた郡党責任活動家は、一部の単位で「目立たないことだ」として川底の浚渫をまともに行なっていない問題に気がついた。
原因は「まさかわれわれの地域では」「まさか今年は」といった僥倖を期待する、活動家の誤った観点にある。
郡党責任活動家はすぐさま、僥倖を期待するような誤った観点を根本から正す思想教養事業を、実践と結合させて行い、活動家が正気に戻るようにした。
活動家の観点が変わり始めた。結果として、河川整理事業は質的に行われ、その年の洪水から農作物と人民の貴重な財産が守られた。
その一方で一部の単位では、自然被害を最小化する事業を上辺だけ、その場しのぎで行い、これまでに少なくない被害を被っている。
このような単位の活動家には、ある共通点がある。
僥倖を期待していることだ。「まさか」を口癖に天を見上げる誤った思考観点が、このような重大な結果をもたらしたのだ。
このことを通して得られた教訓がある。自然被害を最小化する事業において、僥倖を期待することは最大の禁物だということだ。
僥倖だけを期待すれば、油断、形式主義、要領主義がはびこるものだ。その本質には、無責任性と怠惰が隠れている。台風や洪水をはじめとする災害性気象現象は、自然現象ではあるが決して手の打てないものではない。活動家がどのような思想観点を持って取り組むかにかかっている。
活動家は、つねにこのような問いに自信を照らすべきである。
自然被害を最小化する事業で、天を見上げて僥倖を期待したことはないか。

パク・チョルチン

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