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取り寄せ読み始めたチャールズ・シミック『コーネルの箱』の始めのほうに「一九四七年一月二十四日にコーネルがやったこと」というドキュメント的な文章があって驚く。なぜなら自分がハロメンの1日を記録的に描いた日もやはり「1月24日」だったから。いや、まったくの「偶然の一致」なのだ。

2019年のバースデーイベントで ynmn(あの子を表わす記号)が歌った曲は、ハロプロの中でも自分には馴染みの薄い曲が多かった。彼女と私が違う世界に生きてきた証のように思え、1年経って苦味が増すばかりだったので、持っていなかった原曲をすべて取り寄せた。過ぎた時間を相手の足掻き。

この1年、あの子はたくさん勉強したに違いない。

私はこの1年なにも勉強しなかった。

ウエルベックの『素粒子』を読んでいる。夜勤明けに寄ったモス。二十歳位の女店員が迎えてくれる。しかしバーガーを運んできたのは厨房の六十絡みの老人だった。この時間、二人で店を回しているらしい。ここでもまた若い女性と老人の組み合わせ。「おなじみの」

今日2020年1月6日、梁川奈々美さんが18歳のお誕生日を迎えられた。おめでとうございます。めでたい愛でたい日。日常的にはなかなか開けない彼女の2冊の写真集を手にして見た。凄まじくかわいい。そんなわかっていたはずのことに、実は何もわかっていなかったかのように改めて心撃ち抜かれる。

ynmnへの愛をも初めは「家族小説」の一章に仕立てようとしていた。だがそれではもうダメなのだ。たしかにそのロマンス(小説)から抜け出すことは難しい。しかしそこにどっぷり浸かっていては自分を反復するだけだ。ロマンスと戯れながらも新しい駒=言葉を打たなければ。

伊勢鈴蘭さんの「型抜きしおり」を最初はパウンド詩集に挟んでいたが、同じ頃読んでいた複数の本へ何度か移し変えているうちに行方不明になってしまった。家の本のどこかに伊勢鈴蘭さんがいる。そのままダンボール詰めして転居すらした。伊勢鈴蘭さんが隠れている本棚。あの恋に誘うような唇の人が。

初めは姉あるいは妹。やがて妻という時期が長く続く。それが姪っ子を経て、ついに娘となり、いずれは孫などと言い出す。
いわゆるアイドル(など)に萌えながら、結局私は「家族小説」ばかりを描きたがってきた。どうしていちいち彼女たちを家族に仮託せずにはいられないのだろうか。

おそらく所有の時代はとうに終わっている。それなのに私は所有にどっぷりと嵌り込んだままだ。所有の亡霊に取り憑かれ、その歪みのうちに衰弱し病むばかりだ。

いちばんかわいい子がやめてしまったんだよ。よりによっていちばんかわいい子が、と昨春私は〈外〉の人に説明した。その人は「やめてしまったからその子がいちばんかわいいんじゃないの?」と返して来た。いやそうではない。よりによっていちばんかわいい子がやめてしまったんだ。

「俺、山木さんのことが好きになってしまった」というこの短い言葉を言い終わる前に、山木さんはここからいなくなってしまった。

あの子たちのコンサート(ライヴ)というのは、各ヲタにとってごく個人的な体験、誰にも代替できない自分だけの体験であることに間違いない。にもかかわらずそれはあたかも客観的かつニュートラルなできごととしてそこに展開されているかのごとく扱われる。

カントリー・ガールズが「活動停止」したことによって、やなみんをめぐる私の思い巡らしはごく私的なところからやや公的でハロプロ史的な方向へ否応なく引っ張り出されようとしている。

カントリー・ガールズ……

山木さん……

小関舞ちゃん……