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家づくりに仕事の作法を持ち込まなければきっとうまくいく

家づくりって仕事に似ている、という言説をよく見聞きします。「家をつくるときにまず要求仕様書を書きましょう」とか「家づくりに対する要件定義を明確に」とか、そういうものです。
確かに、頷けるところもあるように思えなくもないのですが、さてほんとのところ、どうでしょうか。


家づくりと仕事の作法って言うけどそれ何?

先ほどから家づくりと仕事の作法と言ってますが、つまりどういうことかと言いますと、注文住宅を建てたい人がHMや工務店と家を建てるまでの主に設計の段階でエンジニア的なものを中心にビジネスのやり方を取り入れる、ということです。
この説明がよくわからないという方も多かろうと思いますので、実際に次に紹介するものをご覧ください。

こちらの記事ではこのようにおっしゃられています。
「実は、システム開発における要件定義は、どこに、どんな家を建てるかを決めるという「家を建てる際の最初のプロセス」と驚くほど似ています。というか、同じです」

こちらの記事ではこのようにおっしゃってます。
「システム要件定義と家づくりの要件定義は似ているとIPAも言っており、プロダクトオーナーの腕の見せ所です」

どちらの記事の内容を見てみますと、なるほどと頷けるところがあると思います。また、このようなビジネス的な手法を家づくりに活かす(活かした)というブログなど、検索するとたくさんヒットします。たしかに、なにか製品をリリースするとかいうところまでの各段階と、家が出来上がるまで、というのはアナロジカルであるようにも思えます。きっと、百戦錬磨のビジネスマンなら業種や職種がなんであれ、仕事で培ったノウハウを家づくりに活かすことができるでしょう。

で、この記事でお話したいのは「仕事で培ったノウハウを放り投げて、趣味や道楽、つまりは遊びのように家をつくるときっとうまくいくよ」ということです。

家づくりは仕事ですか? それとも遊びですか?

仕事とはなんでしょうか? と大上段に構えた質問をせずとも、仕事とはお金を対価として労働を提供することですね。どんな仕事であれ、この路線から外れることはありません。総理大臣も、ウーバーイーツの配達員も、アイドルも、学校の先生も、バーテンダーも、看護師も、ありとあらゆる働く人たちはみんな、いろんな形の対価(主にお金)を貰っていろんな労働を提供しています。辞書でもだいたい「職業や業務として、すること。また、職業」というように説明されています。
専門的な仕事になればなるほど、その仕事に対する知識や経験を求められたり、高い練度が必要だったり、専門的な資格が要件だったりします。そしてどのような仕事であれ、その仕事を遂行するには一定の手順や判断の基準が必要であったり、それらがある程度フォーマット化されていたりします。そしていい加減な仕事をしていると「おい、仕事は遊びじゃないんだぞ」などと注意されることもあるでしょう。
では、遊びとはなんでしょうか。辞書によれば個人が楽しみのためにやること、ということですがwikipediaにもうちょっといい表現がありました。
「遊びとは、知能を有する動物(ヒトを含む)が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。類義語として遊戯がある。遊びは、それを行う者に、充足感やストレスの解消、安らぎや高揚などといった様々な利益をもたらす」だそうです(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E3%81%B3)。
さて、家づくりは仕事でしょうか、遊びでしょうか。

(家づくりが仕事の場合)
「家づくりは職業や業務として、すること。また、職業」
(家づくりが遊びの場合)
「家づくりとは、知能を有する動物(ヒトを含む)が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。類義語として遊戯がある。家づくりは、それを行う者に、充足感やストレスの解消、安らぎや高揚などといった様々な利益をもたらす」

ちゃんと定義から考えてみても、家づくりが仕事とあまり似ていない気がします。遊びのほうがしっくりくるんじゃないでしょうか。
それでは、家づくりが遊びであるとしたら、どんなことが起こるでしょうか。きっといいことが起こる気がするんですが。

家づくりから仕事を切り離そう

家づくりは家族全員で考えるべき問題ですし、それぞれにいろいろと意見や希望があるでしょうからその調整も必要ですし、一応予算というようなものや期限というものもありそうなので、これは仕事のように事が運べそうだぞと思うのも無理はありません。しかし、これを遊びのようにやったらどうなるでしょう。実際に、仕事のようにやろうとしているものを、遊びのようにやったとしたら?

引用:ZDNET Japan https://japan.zdnet.com/article/35099593/

家づくりのカラムについて考えてみたいと思います。
計画の段をひとつずつ、家づくりが遊びであるかのように考えてみましょう。
①家の購入と決心する(原文ママ)→なんだか楽しい遊びを見つけてしまったよ、これはやるしかないよね
②家族で会議→家族みんなで遊べるんだからやろうよやろうよ
③何のために家を建てるのか、目的を明確にする→遊びに目的なんかないよ、楽しいからやるんだよ、一生懸命遊ぶともっと楽しいよね
④懐具合は→生活に支障が出ない程度にぶっこむ
⑤大方針を決める→いちばん楽しいようにやるに決まってるじゃん

とまあこういう感じに(ちょっと破滅的でもありますが)。
でも、仕事と切り離すっていう感じ、遊びとしてやるっていう感じがつかめていただけたでしょうか?
それでは、家づくりを遊びのようにやる大事なポイントを3つご紹介します。これらを気にするだけで家づくりが楽しい楽しい遊びのようになって、そして出来上がる家はこれまたとても楽しい、魅力的で満足感の高い、ご家族みんなが嬉しい家になること間違いなしです(大風呂敷)。

コスパは考えない(そもそもコスト計算をしない)

まず仕事ではないのでコスパを計算しません。
コストを削ったり、合見積を取ったり、費用対効果を考えたり、そういうのを全部無視できます。
遊びでそういうこと、考えないですもんね? 遊びだから自分の楽しみを最大化するためにどうしたらいいか考えて、お金のことも考えるけどついつい使いすぎたりしちゃいますもんね? 遊びに使うお金を稼ぐために仕事しているんだから、使うときはドーンと気持ちよく使っちゃいますもんね?
例えばホノルルマラソンを走りたいというアマチュアランナー、ツアー代金などで日本からのエントリーだと30万円ほどの費用が必要になります。マラソンという競技自体はホノルルも日本の居住地の近くの大会も同じ……コスパを考えるとこれはもったいないな、などと考えずにホノルルマラソン出たいんだって思えばツアーをポチりますよね。
自分を含め家族が良いと思えばそれでOKなので、利害関係者(クライアントはいませんよ)は家族のみ、値段を気にすることなく、これが良いと思えばそれでヨシなんです。

推しは推せるときに推せ

例えば、音楽好きで自身でも演奏をする人がヤマハの楽器の大の愛好家で、キッチンをヤマハ(トクラス)にしようと思うのは自然な流れかもしれません。キッチンの設計思想にはピアノに培われた価値観の流れがあるかもしれない、などと想像するのは楽しいものです。家にもうひとつヤマハの製品が増える、というのもマニア心をくすぐるかもしれません。
檜山さんという方が家を建てるときに、どうしても檜(桧とも書きますね)を使いたいと檜の柱を使うように注文した、同じように杉田さんが杉を使いたいと杉板の床を注文した、ということがあってもおかしくないですね。自分の名前が付いたものに囲まれて生活できるというのは満足感が高そうです。
今は大阪に暮らしているけど生まれ育ちが栃木県大谷なの、という方はもちろん、大阪に家を建てるときにもどこかに大谷石を使いたいという気持ちになるかもしれません。
アメリカ西海岸の文化が大好きで、そんなテイストの家を建てるというようなことがあるように、その人それぞれの推しがどんなものなのかは千差万別で、注文住宅を建てるときに「一般的だから」「使い勝手がいいから」「入手しやすいから」などという理由だけで決めてしまわずに、本当に自分が推したいものが何か、その推しに囲まれて生活することの素敵さや充足感がどれほどのものなのかをよく考えて、大好きなものをセレクトするべきでしょう。

資産価値を考えない

スターウォーズが大好きでグッズを買い集めているのは、将来値上がりすることを期待して? そんなことはなくて、目的は眺めてニヤニヤするため、ですよね。
子供のころに見たポルシェにあこがれて大人になってから買いました、という人が「10年して売ったらひと儲けだな」と考えるわけもなく、この人はこの先値上がりしようが値下がりしようがお構いなしに憧れのポルシェに乗り続けたいと思っているわけです。
好きだという動機があれば、それがいまいくらなのか、この先いくらになるのかなどと考えず、好きな場所に住めばいいし好きな家を建てればいいんです。不測の事態になり売らなければならなくなったときにリセールが悪かったとしても、それまで好きな場所の好きな家に住んでいたという大きな満足があるわけですし、不測の事態が無ければそもそもリセールということも考えることすら無かったわけで、資産価値を考える必要性は非常に小さいと言えます。

もちろん制約は少なからずありますが、わざわざ自分で制約を増やすことはないんです

日本に住んでいて日本で仕事をしていて家族も日本に住み続けたいと思っているのに「ハワイで家づくりしたい」はたぶん無理です。
25歳会社員3年目新婚貯金300万円で「都心に50坪ほどの土地で3階建ての家を建てたい」もおそらく無理です。
どの家族にも、少なからず家づくりについて制約が付いて回ります。完全に自由に作るなど無理な話なんです。
しかし、もともと制約ありきで最大の成果を上げるべき仕事というものとは違います。どうしても仕方のない制約以外は、ぜんぶ自由に思い通りに好き勝手にやっていいのが家づくりです。なぜなら、家族がヨシと言えばなんでも通るのが家づくりだからです。
仕事とは、成果に対して対価を得るということなのですが、その成果は誰のためなんでしょうか。それは最終的にはクライアントであり、クライアントにそれを提供して利益を得ている自分が所属する組織です。自分のためというのは、対価について自分のためであるわけです。
家づくりは成果が自分のためになります。対価についてはHMや工務店のためであるわけですね。
じゃあ、施主は仕事のように家づくりをやる必然性は無いのではないでしょうか。それはHMや工務店に任せて、施主は自由自在に遊びのようにやったほうがいいんじゃないでしょうか。
というのがこの話の結論です。
どうか、仕事のように家づくりをして、なんだか思ったような家ができなかったなあ、住んでてつまらない家になっちゃったなあ、とならないようにしてください。

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