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想い出のカメラ雑誌〈アサヒカメラ 1970年 10月号〉

40年位前に芥川仁さんと会う機会が有り、これがデビュー作(12分の青春)と聞き所有していないとの事で進呈しました。その後、アサヒカメラを何度か探したのですが縁が無く入手出来ず 今回10年ぶり位に思い出し、木村伊兵衛さん 佐藤オリエさん で検索 するとヤフーオークションが出てきて 過去の物かと思ったら今日(5月5日)の23時53分終了と有り、入札 落札しました。  今回40年ぶりの入手です。
当時 芸能関係の肖像写真は秋山庄太郎さんが主流で木村さんの肖像写真に引かれてアサヒカメラを購入したのだと思います
(たぶんオリジナルプリントを見ていると思っていますが非常に曖昧です)

「あきらけい」さんが管理されている、当時のインタビュー記事
「 Internet Photo Magazine Japan 」に土門さん・木村さん・岩波の六大寺大観等の記事が下記 Webに有ります。

写真出版文化の陰の力 中村春雄(中村現像所)
中村現像所代表 中村春雄氏 レポート 谷博氏 (アサヒカメラ 元編集長)

「 Internet Photo Magazine Japan 」の中のBacknumberには非常に貴重な記事がたくさん有りますのでご覧に成ってはいかがでしょうか。

19年位前に岩波の方とお目にかかった時に倉庫に六大寺大観に使った写真原稿が有ると伺いました。是非 写真展や展示をして下さい、出来ればオリジナルプリントの素晴らしさが伝わるのではと話した事が有ります。

追記  6月3日
当時、芥川さんから伺ったことを思い出したので追加します。
撮影のテーマ(主題)からズレていないかを意識しズレが有れば修正をして続けると言われていました。

<連載> 娘たち・10 佐藤オリエさん
撮影:木村伊兵衛 156頁~
アサヒカメラ・ギャラリー選抜作品集
12分の青春 -4回戦ボーイの記録-
撮影:芥川仁 221頁~225頁
〈アサヒカメラ1970年10月号 目次より〉

追記2  2022年10月8日
夜間中学  dp117 として6月上旬 (2021年) に下書きした物です。

「想い出のカメラ雑誌」初回投稿に当たり了解確認の為「あきらけい」氏、芥川仁氏、朝日新聞出版に問い合わせをしました。

芥川仁氏の現在の活動を知りませんので、Googleで検索し芥川氏のホームページから連絡を取らせて頂きました。
今回、ウィキペディアの「主な写真展」の中で「6・3制夜間中学の顔」(1972年/銀座ニコンサロン) と言うのを見て夜間中学を撮影されていた事を始めて知りました。
夜間中学で直ぐに思い出すのは見城先生です。
「6・3制夜間中学の顔」をインターネット上で検索しても見つからず、2021/5/22 芥川氏に改めて問い合わせをしました。
この写真展は芥川氏に取って始めての写真展との事で、荒川九中での撮影に当たり見城先生にはお世話に成ったとの事でした。写真情報をご自分のホームページに出来れば掲載しなければと思うと返事を受け取りました。

見城先生とはやはり40年くらい前からの知り合いで、35年位前に横浜で夜間中学維持支援の講演会が有るとの事で誘われてご一緒に行った事が有ります。その後 2002年に一度お会いしましたが、その後は年賀状でのやり取りだけです。

数日後、NHK で
プロフェッショナル 仕事の流儀 NHK総合 2021年5月25日(火)
file 479「心よ、壁を越えてゆけ~夜間中学教師・入江陽子~」
と言う番組が放送されました。

最初から夜間中学専任として配属され、生徒さんの8割が外国の人だと放送していました。

私の知る横浜市の事ですが、昼間授業をされている先生が残って教えられていました。
これを見て私が知っている夜間中学とは全く変わっていると思い、疑問に感じた事が有ったのでNHKに電話で問い合わせをしました。
幾つか有ったのですが、手元に有る資料以上の事は分からないと言われ、殆ど回答が無かったのですが、資料を読んで貰い その中に「教育を受けていない人は国籍を問わず可能(入学)」と有りました。
自分勝手では有りますが、正式にその夜間中学校の在籍生徒と成り、終了すれば中学校の卒業生と成ると判断しました。
教科書・給食等の経費は別途掛かり 各自負担との事でした。私の記憶ではほとんど掛からなかったと思っています。

夜間中学の事がキーワードとして提示されていると言う事で私自身、なにか考えないと行けない事が有るのではないかと思っています。

リンク先
芥川仁氏 公式サイト
芥川仁氏 ウィキペディア
見城慶和先生 ウィキペディア

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