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わかってから書くというより、自分を知りたいから書く

 わたしは自分の投稿物を、執拗に見返す癖がある。noteであれば「スキ」を頂いた通知のリンクを踏むたびに、文法、流れ、冗長性、音楽としか言えないような感覚的なものまでを最確認し、必要であれば添削する。誤字は読み流してしまうこともあるが見つけ次第直す。

 あなたの「スキ」の後になって、文章が微調整されている可能性はある。

 間違えるのが怖いのではなくて、言いたかったことを、一度書き切った後で眺めるまでが、一連の作業になっている。まとめた後で言いたかったことが整理されるので、「もっとこう表したほうがしっくりくる」という発見があれば、それに相応しい形に整える。

描いてからも考える

 ユーモラスな絵本の挿絵、映画『アメリ』への美術協力で有名な画家、ミヒャエル・ゾーヴァは「上塗り」であだ名がつくほど、完成後、正確には納品後も書き足しや修正を延々続けるらしい。

 絵本の挿絵で言うと、原画は出版社ではなくゾーヴァ氏が保管する。出版社に画像を納めたあとも、気になるところがあれば手を加えるので、絵本に掲載された絵は現存しなくなることもある。

 世界に出回っている絵本に、われわれは「完成品」として接するけれど、ゾーヴァ氏にとっては、作品と自分とのダイアローグ(もしかしたらモノローグ)の、長い途上の、切り取った断面を見せてくれただけなのかもしれない。


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