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価格という応援値 (1)

5月は広島で無農薬のお茶を作るtea factory genさんのもとへ、新茶の収穫作業や畑の様子を見せて頂きに伺った。場所は広島の尾道で、そこから車で1時間。山の奥の方、広島の世羅という地域にある。陸路でなんとか行こうとしたが、間の待ち時間が1時間以上だったり、バスが途切れていたり。途中で調べるのを投げ出して途方に暮れてしまったくらいに奥地にあった。

玄さんこと高橋玄機さんは、広島の在来茶葉をはじめ茶の木を無農薬、無化学肥料で育てるお茶農家さん。今年3月にpass the baton marketで知り合い、お茶を使わせていただいた。そのお茶はすっきりしていて、飲んだ瞬間は「薄いかな」と感じるほど、清らかでみずのように透明感があった。ただ、飲み続けているとだんだんにお茶の緑の味がしてきた。口がその味に慣れてくると、しっかり茶葉の味を感じた。

あとから知ったのは、自分が今まで飲んできた市販のお茶(スーパーで、ごく安価で販売されているものや、ペットボトルのもの)がいかに「お茶」らしい濃さに育てられているものかということ。私も、その味に慣れていて、無農薬のお茶の味に最初ピンとこなかったのだ。

茶葉の真ん中に突き出ているのが、笹。もはや重なるようにびっしりと生えている

玄さんの畑を訪ねて驚いた。気が遠くなった。なぜかというと、茶葉の木にたくさんの笹がからみつくように生えているから。畑でご一緒した直島で宿を営む方達と、わずかな時間ではあったけれどその笹を抜く作業のお手伝いをした。

5月は玄さんにとって最も忙しい時期。茶葉の収穫期だ。でも、収穫をするよりもそれらの草を抜く時間の方が長いという。一日の半分は草を抜き、残り半分で収穫をして、日が沈んでから茶葉の乾燥や加工に入っていくのが日々の流れ。茶葉の木々と同じスピード、あるいはそれ以上のスピードで雑草が生え、少しでも放っておけば茶葉の木を飲み込んでしまうので、草をのぞきながら茶葉を採る、ひたすらにその繰り返しなのだという。

とれたての新茶は手触りがぷるぷるだった

無農薬の茶葉は日本でもまだ数%に満たないという。その理由が畑を訪ねてよくわかった。手間しかないのだ。笹はあまりにも茶葉の木に入りくんで生えていて、素人には1時間かかっても1列程度しか草が除けない。その数十倍、数百倍の木々の面倒を、玄さんはなんと2人で日々みている。信じられない。信じられないけれど事実なのだ。

そこまでして無農薬を選ぶのは、ただただ、自分がそれでなければ納得できないからだろうと思う。何のために茶葉を作ることを生業にして、何に喜びを感じ、この仕事を続けているのか。その理由のためには有機を選ばなければならなかったのだろうと思う。
無農薬、無化学肥料で野菜や作物を育てる農家さんを訪ね、話を聞くたびに、それがその人にとっては当たり前の選択肢だったのだと腑に落ちる。「良いこと」をしようと思ってその道を選んでいるわけではない。ただ、自分がその道を選ぶならその方法しか考えられないのだ。もはや性(さが)のようなものだ。その気持ちがほんの少しわかる気がする。

玄さんは一見くまさんのように(すらりとしていて、見た目は全然そうではないのだが、どこかのんびりした空気とあたたかい人柄がそう感じさせる)穏やかな人で、笑顔はみんなをほっとさせる。この人のお茶なら飲みたいと感じさせる。でも、その奥にはきっとものすごく強い思いがあるのだろう。こんな苦労を背負いながら、お茶を作っている人に、刺激を受けずにはいられなかった。

長くなりすぎるので、今回は前編にする。本題は後編なのだけれど、つい話が長くなってしまった。


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