旅行の話① 修学旅行 小学校編

こんにちは。

新宿に勤めるしがないサラリーマンです。


何となく母校(高校)のホームページを見ていたら、

「ドイツ・ポーランドの修学旅行が云々」といった内容のブログがあり、

己の悲しい修学旅行人生を思い出してしまったので、文字に起こしてみようと思い立ち、放っておいたnoteを再開しました。外出自粛でヒマだしね。


早速、修学旅行の話をしよう。

人生で修学旅行に行くチャンスは、教員にならない限り一般的には3回ほどあると思う。小学校+中学校+高校ね。

学校によってはオリエンテーション合宿とかもあるかと思うが、

僕式判断基準ではそれらを修学旅行とは認めていない。


自分の中での「修学旅行」の基準は、

・自由行動の存在
・行動班決めと、それに伴う激しい諍い
・社会学習(歴史・産業・平和)
・宿泊場所がホテルや民宿である
・先生との駆け引き(ゲーム機の持ち込みとか夜の見回りとか)

まあこのくらいかな。


「気になる人との甘酸っぱい体験」とか、「彼氏/彼女とこっそりイチャイチャ!」とかは含めてません。遊びじゃねンだ。


学生生活を振り返ってみて、自分はかなり修学旅行先が微妙だったのではないだろうか、と思う。


小学校:焼津(5年次、6年次)

中学校:長崎

高校: 長崎


このラインナップ。

京都も奈良も沖縄も、日光にすら行ってない。

おかしいですよ。

卒業後に母校の修学旅行先が(沖縄/ドイツ・ポーランド)から選択式になった事実を知った時は、体中の穴という穴から血を吹き出すところだった。

さながら、関羽に呪い殺された呂蒙のようにね )^o^(



という事で、まずは小学校の思い出から。


焼津て。今まで修学旅行トークを何度もしてきたけど、焼津に行った人なんて聞いたことないよ。子ども心に思ったもんね。「え?焼津??」って。

焼津を悪く言っているわけではないけど、小学生の修学旅行が焼津て、あまりにも渋すぎやしませんか?と。僕らはハイソな横浜市内の小学生なわけですよ?飾る宝も入り来る港ですよ?と。


いや、焼津も良いところだと思いますよ。マグロもカツオも有名だしね。



食べられればね。

そう、焼津に行ったんだけども、マグロもカツオも恐らく一切食べてない。食べたのは宿泊場所の青少年の家的なところで提供されるバイキングのみ。スパゲッティとか食べた。


マグロの漁獲量日本一の焼津漁港もあるし、修学旅行で漁港ってのも新鮮でいいかもね。



行ければね。

焼津の修学旅行で覚えているイベントは、茶摘み、はごろもフーズの見学、登呂遺跡見学とかかな。あとサイクリングもしたね。あ、そうそう、プラ板も作った。わざわざ焼津まで来てプラ板作らなくてもいいだろ。


あと、カヌーも漕ぎました。5年の時も6年の時も。まー辛かった。もう漕ぐのを辞めてしまおうかと幾度となく思いました。

ヒイヒイ言いながらゴールに着いたら、ご褒美で紙パックのジュースを1つもらえる。バンザーイ。ちょっと休憩したあとカヌーでまた戻る。


刑務体験かな?と感じました。


宿泊場所も調べてみたら一泊三食で1人2000円ちょっとだし、まあPTAとかで修学旅行が高すぎる、とか何とか言われてこうなったのかな。しょうがないね。

ちなみに僕の妹の代では日光に行ったそうです。ぐぬぬ。


まあ新幹線で修学旅行に行けたのは良い思い出ですね。それなりにワイワイしました。あと、はごろもフーズでシーチキン缶を5個くらい貰った。なけなしのマグロ要素。



小学生時の修学旅行はこんな感じでした。

ちょっと長くなってきたので、中学と高校の話は次回にします。それじゃ。



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