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目の前と頭の中に広がる世界

私は多分、多趣味な方だ。

映画鑑賞、歌うこと、お菓子作り、ダンス、ピアノ、旅行、読書、散歩、作文、アクセサリー作り…パッと思い浮かんだだけでもこのくらいはある。故に時間が足りない。やらなきゃいけないことと趣味をもっと奥深くまで追求したい気持ちが板挟みになって「あれやりたい、これが好きだからこういう事やってみたい」と考えるだけ考えていつもなぁなぁになってしまう。

今回はその中でも「散歩」について語っていきたいと思う。

散歩は良い。大好きだ。通勤や何か目的の場所へ向かう為に足を運ばせているのとは訳が違う。

お気に入りの靴を履き、耳にはお気に入りの音楽をイヤホンに忍ばせ、あてもなく目の前に広がる風景を楽しみながら飽きるまで歩き続ける。そうする事で、自分の感受性がどんどん豊かになっていく。

目的が無いからこそ、目の前に広がる風景を観察した時、「あんな所にあんな植物が生えている」とか「あれっこんな素敵なお店が建っていたなんて」と気付くことが出来る。

目的が無いからこそ、好きなアーティストの好きな曲を聴いている時、「この歌詞にはこんな意味合いがあったんじゃないか」「今のベースの音はまるでこの曲の主人公の心臓の音のようだ」とか曲に込められた様々な感情に思いを存分に巡らせ、考察することが出来る。

目的が無いからこそ、普段自分が考えている事象について別な視点からその物事を見て自分の中で解決が出来たり、空の高さを見てどこまでも広がる私の知らない世界に思いを馳せて、自分の悩みなんてミジンコみたいなものだとフッと肩を軽くすることが出来る。

そんなこんなで気付いたら1時間以上歩いてる日もあったりする。

散歩を通して、やっぱり自然は良いなぁと気づくことが出来た。何か浄化させる力がある。

人からしたら変だと思われるかもしれないが、歩いていて目の前に飛び込んできた情報について色んな思いを巡らせるのも好きだ。
いきなり降ってきたあられを見て、この子達は雲の中から生み出されたと思ったらいきなり下界に投げ出されて、何も分からないまま直下していって何も分からないまま地球の地面に辿り着いたと思ったら自分の体が溶けていって何も分からないまま生涯を終えるんだなとか、ほんとこんなことばかり考えてしまう。地面に辿り着くまで、超高速だから周りの景色など見てる暇が無いと思うが、見ていたとしたらどんな景色なんだろう、とか。

最近は、見頃が終わりすっかり開き切って中の黒黒としたおしべやめしべを外の空気に触れさせて少し可憐さが欠けているチューリップを見て、見た目はかわいいけど中身はめちゃくちゃ腹黒い人とか、居るなぁと思いにふけた。

あられなどの無機物に生命を宿らせてここまで考える人、他にいないだろうか。居たら是非とも話をして盛り上がりたい。

私は自分でも気付いていなかったが中々現実に目を向けようとはせずこうやって無いことに思いを巡らせる空想家なのかもしれないと最近思うようになった。どうしても現実ではなく、理想をどんどん夢描いてしまう。現実世界の地面を一歩一歩踏み進めて行きながら、心は別の何かを想っている。

もっと模範的な大人にならなければと思うが、こういう一面も私なのだと受け入れて、これからもやめることは無いと思う。そんな私も好きだ。

今日はどんな道を歩いて、どんな発見が待っているんだろう。

そんな思いを胸に、私は今日も、これからも、散歩をする。

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