父という人は③

受診の当日、赤ちゃんに授乳をして、簡単に朝食を済ませて、身支度をして家を出た。
朝から酷暑だった。
自宅から父の入院している病院は、電車とバス経由で1時間半弱かかる。
バス停から病院まで10分程度歩くが、途中で道に迷い、地元のおばあちゃんに道順を教えてもらった。
病院に着いたのは、出発予定の時間になってしまった。
父に会うのは半年ぶりだ。
私が産休に入る前、父が腹痛を訴えて、今回と同じ病院に受診をして以来だ。
その腹痛の原因は便秘で、下剤が処方されてからは痛みは落ち着いたらしい。

病棟の扉から出てきた父は、前傾が進み、腰がほぼ直角に曲がっていて、小刻み歩行が増していた。
斜め下を見て「じゃあ行こうか」と言った。
わざわざ朝早くから来たのに、挨拶も感謝の言葉もないのか…
悲しいけど、父はそういう人だからしょうがない。
すでに出発時間を過ぎているし。
父は右腕にギプスをしていた。
首から下げている三角巾は見事にずれていて、肘近くの前腕しか支えていない。
通り掛かったスタッフがいってらっしゃいと声をかけてくれて、ずれた三角巾をうまく直してくれた。
受診する病院には、すでに予約してあったタクシーで向かった。
父がタクシーに乗り込むとき、足を上げるのにも、お尻が座席に着地するまでにも思いのほか時間がかかった。
1人でできるのは良いことだけど、筋肉は相当衰えていることがわかった。
タクシーが発車してしばらくして、今日は何時に起きたの?と聞かれた。
「5時ぐらいかなぁ。お父さんは?」
「お父さんはね、3時。目が覚めちゃうんだよ」
「ずいぶん早く目が覚めちゃうんだね」
「うん、そろそろ、10時とか11時には眠くなるよ」
今は9時だ。
準備が遅いから、早く起きてゆっくり準備するんだ。
以前、そんな事を言っていたのを思い出した。
そんな話をしているうちに、父は目を閉じてうつむき始めた。
無理に話しかけず、そのまま寝かせておいた。
今回受診する病院まではタクシーで10分ほどで着く。
到着して、タクシーを降りる時は本人のリズムがあるから手出ししない。
転倒しないようにすぐ支えられる距離に立ち、ただ見守った。

病院に着いたら車椅子を借りて、そこからは車椅子で移動した。
レントゲンを撮って診察に呼ばれるまで、父は2回トイレに行った。
私も車椅子用のトイレに一緒に入る。
緩慢ながらも動作は落ち着いていた。
トイレから待合室に戻って程なくして、診察室に入るように名前を呼ばれた。
医師は画像を見ながら、骨折面のずれが若干あるものの許容範囲内だと教えてくれた。
受傷してから3週間経ったので、次回はギブスをカットすると言われた。
ずれていると言うのは、父が指示を守らず、毎日書くことにとらわれているからだ。
父は真面目な性格で、決まったルーティーンをこなさないと気分が悪くなる。
英会話CDやラジオの外国語講座で習ったことをノートに書き出したり、覚えておきたいことを忘れないようにメモするらしい。
映画「ビューティフル・マインド」の中盤で、統合失調症の主人公が部屋に壁一面に、メモ書きを貼っているシーン。
うちの父も同じだと思った。
統合失調症の人にはあるあるなのか。
ノートにも新聞の広告の端っこにも忘れないようにメモする。
骨折したのは右手首で、もともと右利き。
本人は真面目な性格で、「書く」ルーティンをこなさないわけにいかない。
骨折してギプスつけて固定しないといけないのに、書いてしまうのだ。
転倒から3週間経って、動かしても痛くないから、書いてしまうっていうのもあるんだろう。
まぁ、でも、ギプスが取れるならよかった。
診察はものの数分で終わった。

最初の関門はあっという間に終わったが、その後に売店でコーヒーを飲んだりして、父がトイレに4回行った。
もちろん私も一緒に広いトイレに入らなくてはいけない。
トイレが近いのは、付き添う側も大変だが、行きたい本人がもっと辛い。

ここから、タクシーで銀行の最寄駅に向かって、お昼を食べて、銀行に行って、また病院に戻って父を送り届けて、やっとミッション終了。
暑い日だったが、父が熱中症になることなく、病院に戻れたのでほっとした。
1日がかりの付き添いになったので、帰ってから夕食を作る気になれず、父からもらったお小遣いで、滅多に買わないお惣菜を買って帰った。
留守番してくれた夫と自分のために肉まんも買った。

父は精神病院に入院していながらも、ほぼ自立していた、というのは数年前の話。
今は転倒もするし、1人で外出することはできなくなってしまった。
病院は守らなくてはいけない約束事も多いし、思い通りにいかないことも多くて、父はたまに電話で愚痴を言ってくる。
でも、病院にいることで本人が守られているのを実感できているのも事実。
家族としては、入院させてもらえて本当にありがたいことだ。
こころの病気とか、老いとか、色んなことを感じながら、父は生きているんだと思った。

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