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甘えさせてよ、ねぇ。

身近な人間にほど甘えてしまう、それは恐らく当然のことで。
ましてや幼少期に、周囲に存分に甘えることが叶わなかった私にとって心許せる相手というのは親を重ねてしまうのだ。
それも、無意識に。

何か文句を言って解決して貰おうとする、自分の気持ちを掬って貰おうとする、慰めて貰おうとする。
それらの行動は本来なら一番身近な存在である親に求められる役割であり、ただ衣食住を満たしてもらうだけでなく気持ちの部分を汲んでもらうことで、後々大人になってから周囲に求めすぎずに済むようになる。
枯渇感があること自体が通常になると、自身で満たす習慣がない限り《無意識に》他者に求めてしまうのだ。

期待と甘えはセットのように思う。
無意識にしてしまうから、傷ついたり、時に他者を困らせてしまったりする。
そして自己嫌悪になると陥る。

先ずは『甘えてしまうこと』『期待してしまうこと』を受け入れようと思う。
直ぐには治せないし無くせないから、先ずは自覚することから。
なりたい自分、になるために。

甘える自分も許して好きになれたなら、怖さも後悔もなくなるのかも知れない。

それでは今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
さきんこ

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