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ディス・チャーミング・マン

Evernoteを掘り返していたらもう5年以上前のテキストが出てきた。その当時のままに以下転載します。


10年近くぶりに会う高校時代の旧友は、久しい感じがしなかった。
一緒に酒を飲むのも初めてだったが、緊張なぞしない。同期の桜。こんなものだ。
「ネットにはずいぶん助けられたな」
彼は大学にも行かず、家業を継ぐと語っていた。
だがそれは、家族の介護をするため、家を守るための選択だったという。10年間、彼は頑なに口を閉ざしていた。家のことは語らなかった。負い目もあったのだろう。

「祖母を看取ってから、去年は親父が亡くなってね」
「おれの20台はみんな、家族の世話で過ぎて行ってしまった」

考えてもみろ。二十歳にもならない若造が、社会保障制度も介助方法も何も知らない男が、ただただ切迫感にさらされる状況を。
どうにかしなきゃいけないけれど、わからない。胃がキリキリする。

「当時は訪問の看護師さんに介護の仕方を教えてもらったりもしていたけれど、大抵は本やネットで調べてどうにかしていた。ネットがなかったら、孤立していたよ」
「今じゃ随分情報も充実したね。当時はまだ整理もされていなくてね」
アウトリーチを待つより、生きる覚悟のある人間なら、まずはセルフヘルプから手を着けるのだ。
そして彼の徒手空拳を、黎明期の、細々とした個人サイトが支えていた。
介護DBはおろか、OKウェブやYahoo!知恵袋もなければ、Googleは未上陸だった時代のことだ。

一方のおれは、福祉業界に転じて早7年。
介護福祉士は当然のこと、最近ではケアマネさんと呼ばれるようにもなった。
以前の業界では生き残れなかったが、福祉の業界では狼に喰われる子羊ではない。あわよくば、このまま社会福祉士も取って順調にキャリアを伸ばしていきたいところだ。学費だって、もう貯めた。

「ネットをやれよ」
彼が興奮したように話す。
「FacebookやTwitterじゃ不十分だ。経験してきたことを、そのまま。情報がまとまってあるのが大事なんだ」
集合知を築け、その一助となれ、という。
地域包括支援センターでも、病院の相談室でも、社会福祉協議会や介護保険課でも障害福祉課でもなくて、ウェブサイトからできること。

ネットワーキングとリンケージか。そういうのは得意なんだ。


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