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心の奥の取材ノート

被爆医師 肥田舜太郎先生のこと

交わした言葉、ちょっとした仕草、振る舞い――
今もありあり思い出す、取材で出会った人たちのこと。
編集部

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 季刊『道』170号(2011年10月)で取材させていただき、本年3月に100歳で亡くなった被爆医師・肥田舜太郎先生は、取材前と取材後の雰囲気がずいぶん変わったことで、特に印象に残っているお一人です。

 肥田先生は、軍医として広島陸軍病院に赴任中に被爆、その直後より被爆者治療に携わり、2009年に医師を引退するまで延べ6000人の被爆者を診療。その後も亡くなるまで、講演活動や著作で放射線による体内被曝の実態を訴えてこられました。

 宇城憲治先生との対談が始まると、開口一番、「あなたたちはどれくらい真実を書けるんですかね?」「朝日新聞だって20%しか載せていないんですよ」と。

 おそらく取材を受けても、メディア側の都合で多くをカットされる経験をいやとされてきたのでしょう。宇城先生が「いやいや、100%真実を出しますよ」と答えても、「うーん」と首をかしげておられました。

 しかし、対談が進むうちに、肥田先生のご様子がどんどん変わり、終わる頃にはのめり込むようにお話をされている姿にとても感動したのを覚えています。

 そして対談が終わり肥田先生にご自宅にお帰りいただこうとなった時、なかなか来ないタクシーを宇城先生が反対車線まで走って捕まえに行ったその後ろ姿を見ながら、肥田先生が「たいした男だな……」とつぶやいたのを私は聞き逃しませんでした。

 対談号をお送りすると、すぐにお手紙をいただきました。『お送りいただいた『道』は楽しく読ませていただいています。今の日本人に欠けてしまった「気の道」を書く姿勢に「心の支え」を感じます』と。そのお手紙には購読料1万円が同封されていました。

 その後も幾度かお電話をいただき、「掲載号はすぐに誰かに持っていかれちゃって困っているよ」と嬉しそうにお話しくださったのを覚えています。こんなに喜んでいただけたことにどれだけ力をいただけたか分かりません。

 肥田先生は、生涯を通し国が過小評価している内部被曝の危険性を訴えておられました。肥田先生は真実を伝える姿勢を貫くことこそ、『道』の使命であることを、あらためて教えてくださった先生です。  (木村)

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(左)宇城憲治氏 (右)肥田舜太郎先生


―― 季刊『道』 №193(2017夏号)より ――

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