リアム・オブライエン 弓道教士七段
“とらわれない”世界へ 自己と向き合う修行の日々
60年代後半から70年代にかけて、東洋の哲学や文化に対する興味がヨーロッパの若い世代にあった時代、オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』を読み、日本の伝統文化に関心を持つようになった英国人弓道家リアム・オブライエン氏。
弓道に魅せられ35年、的と弓、そして自分と向きあう日々の中で、常に内省する心を持ち続ける氏に、理屈や頭では学べない弓道の魅力と、日本武道の価値を存分に語っていただきました。
(取材 平成19年4月10日 明治神宮至誠館武道場にて)
※所属や肩書きは、季刊『道』に掲載当時のものです。
<本インタビューを収録『武の道 武の心』>
日本の伝統文化を理解するには
体験を通すしかありません
――『弓と禅』を読まれて日本に興味を持たれたとうかがっておりますが、最初の感想はいかがでしたでしょうか。
『弓と禅』は何度も読み返した本ですが、読むたびにより深い意味が少しずつ明るくなっていきました。阿波研造先生(弓道家 1880-1930)は、頭で学ぼうとするオイゲン・ヘリゲル氏(ドイツ人。阿波に弓を学び『弓と禅』を著わした)に対し、理屈ではなく、体知による弓道を学ばせようと苦労されます。そういう両者のやりとりがその後、たいへんおもしろい展開になっていくわけです。
外国人からすると日本文化はエキゾチックで神秘的であり、そのような興味をもってヘリゲル氏は弓に対するわけですが、しかし阿波先生は、弓をそのように漠然と理屈っぽくとらえることをまったく許さないわけです。つまり、頭脳的理屈、論理での解決ではない、体得によることを強調されたのです。
外国人が日本文化を理解する際にいちばん障害となるところが実は既定観念なんです。西洋人というのは、〝特殊な体験〟、現実性から離れた神秘性にあこがれ、平凡ではない、特別な何かを求めて東洋の文化に近づいてきます。しかし弓道場における日々の稽古は、非ロマン的な日常の平凡に至るいろいろなことをも含み、不合理的なことへの忍耐から始まります。
道場では、白紙をもって弓の様々な所作から日常的なことまで、すべて言い訳なしに「学ぶ」ということから出発することが肝要だと思います。
そういう意味で日本の伝統文化を理解するには長年かけて体験を通すしかありません。
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