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市橋紀彦 合気道八段

自他共に己を研く砥石となれ

高校3年の1958年、合気会本部道場に入門、以来四十有余年の年月、当道場で後進の指導にあたる市橋八段。自分が濃くなれば技も濃くなる――開祖を直接知る最後の世代の一人である師範は、開祖の「悟りの世界」にふれ、「技は単なる動作の問題でなく、思想、心の表われであり、ただガツガツやるだけではダメ」と稽古の心構えを語る。
(取材 平成12年5月29日 合気会本部道場にて)
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース125号』に掲載当時のものです。


始めたら、のめりこんだ合気道

――武道は最初に何を習われたのですか、合気道をなさる方で先生の年代の方でしたら、柔道や剣道をなさってますね。

 その通りです。中学、高校は柔道をやっていました、途中でやめましたけど。高校3年の終わりに高校の先生から大学に入って、今度何をやるのかと聞かれました。その時はあまり世間に合気道は知られていませんでしたけど、合気道をやりたいと言いましたら、それなら大学(明治学院大学)で合気道ができそうだという話で、大学へ入ってから発起人を探したんです。そしたら1年先輩におりまして、一緒になってビラをくばって合気道同好会を作ったのです。それが昭和33年で、その時にはもう私は合気会本部に入っていました。

 私は合気道を小さい頃から知っていました、本部道場で兄がやってましたから。高校の柔道部にいた時、空手をやろうと思ったんですが、体が固いというか、足が上がらない、短い、届かない(笑)。こりゃだめだと思って、それで前から知っている合気道をやろうと、高校3年の3月に決めたのです。本部道場に用紙をもらいに行き、4月1日から入門をさせていただきました。

1965年 旧本部道場にて

――入った時は指導員になるお気持ちはありましたか。

 その時はなかったです。実は私は音楽学校へ行きたかったんです、指揮をやりたかった。高校では柔道部と音楽部に入っていましたが、2年の終わりに柔道をやめて音楽部だけにしました。明治学院大学に入り、その間に音楽も勉強してあらためて音楽学校に入ろうと思っていました。だけどやっぱり武道が好きで、合気道を始めたら、そのまま合気道にのめりこんでしまったというわけです。

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