【論説】事故防止、用心にまさるものなし

文・合気ニュース編集長 スタンレー・プラニン

(1994年1月 季刊『合気ニュース』102号より)
  ※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』に掲載当時のものです。

 最近、アメリカからたいへんショッキングなニュースが届きました。北カリフォルニアのある道場で、女性稽古生が稽古の事故で首にひどい損傷をうけ、体が不自由になってしまったというものです。詳しいことは聞いておりませんが、稽古中に大きな体の男性とぶつかり、倒れた彼女の首のあたりにその男性が倒れてきた。そのため彼女は脊椎をやられて体が麻痺してしまったのです。予後については聞いておりませんが、一日も早く回復されることを祈ります。いずれにしても、合気道家はこの悲劇をひとつの教訓として日々の稽古にあたらなければなりません。

 理由は何であれ、事故が起きたということは、道場での稽古法が安全でなかったという証拠です。といって、事故のあった道場をわざわざここで取り上げて非難するつもりはありません。関係者の方々には自分たちの稽古法の甘さが痛いほどおわかりだと思いますし、指導者は安全性についてはあまり考えずにただ先輩たちがやったように指導を行なっていただけのことなのでしょう。

 この種の怪我は合気道の世界ではどこにでも起こり得るというのが、長年合気道を稽古してきた私の実感です。普段は教養も分別もある人たちが合気道道場の「家族的雰囲気」に入ってしまうと、いつもの用心深さをなくしてしまうのにはまったく驚かされます。さまざまな国の合気道稽古を見てきましたが、いずれも怪我が起こっても不思議はないほどの「詰め込み」稽古が行なわれていました。気の流れのような大きく流れる技を稽古する場合はとくに危険です。指導者の「気をつけて」という注意以外に、安全な稽古環境のために何等かのきちんとした方法が採られている道場は皆無ともいえます。稽古生は空いたスペースをみつければ、ところかまわずてんでんに投げていました。

 その最たる例が通常何百人も参加する大規模な講習会です。狭い畳敷きの会場に詰め込まれては、参加者がゆったりと穏やかな気持ちで稽古できるとは到底思えません。そのような状況下では技を学ぶどころか、どうしたら稽古仲間にぶつからずにすむかという、とんだ「護身術」を学ぶのが関の山です。そのため、貴重な稽古どころか、怪我を心配して神経をすりへらすだけの講習会に終わってしまうのです。

 このような安全性に欠ける合気道稽古が行なわれる原因のひとつは、合気道家が自分たちは和を重んじる武道を稽古しているから安全だと思い込んでしまっていることです。人と仲よくやっていく方法を学び、和気あいあいとした雰囲気のなかで稽古をするのが合気道とすれば、稽古は当然安全なものであるべきではないでしょうか。

 ところが、安全どころか、合気道稽古はもともと危険なものなのです。その理由は、まず、稽古で使われる技は昔、武士が使った柔術技からきているということです。つまり、武器技と同じく人を殺し傷つけるためのものです。その上、合気道稽古によって私たちの体力は増強し、相手を傷つけることが容易になってきます。また上達するにつれて、稽古はさらに厳しくなる傾向があります。合気道技にこのような危険な要素がすでに潜んでいる上に、限られたスペースに許容量以上の人間が稽古する状況がそれに輪をかける。そしてますます合気道の危険度がましていく・・・ なんとも皮肉なことです。

 合気道をやった人なら「詰め込み」稽古の経験はあると思います。しかしどうもそれを危険と感じるよりも大勢の仲間にかこまれた「暖かみのある」稽古と受け止める傾向があるようです。また満員の道場は成功の「しるし」でもあり、道場生や関係者にとり悪い気がするものではありません。

 プラス面に惹かれるのももっともですが、怪我は常に起こり得るという現実に立ち返って頭を冷やす必要もあります。

 安全な稽古環境づくりは指導者が率先して行なわねばなりません。ここに先に述べたような怪我を防ぐための、私が工夫した方法を紹介します。かつて道場を開いていたとき試みて成功したものです。

 まず、道場の混み具合に関係なく常時、稽古生は各組とも平行に並び、相手をそれぞれ同方向に投げる。つまり、稽古場の中央ラインに面して各組の受けと取りが向き合う。各組の取りは中央ラインに向かって直角に投げる。

 このようにすれば衝突事故を防ぐことができます。これは武器技稽古で行なわれている各組が畳上を横一列になって打ち合う方法を採ったものです。武器技稽古にこの方法が絶対必要なのは、武器の危険性を誰もが認識しているからです。
 とはいえ、あまりたくさんの稽古生がいる道場では、この平行投げ方式でも衝突事故を防ぐには十分ではありません。そこで次のような方法が考えられます。

 指導者は稽古生を三人一組のグループに分ける。3番目の人は投げの順番がくるまで、他の二人が技をやっている間、「交通係り」となって、他の組みとの安全な間隔を常に確認する。

 これよりもっと効果的な方法として、いわゆる「掛かり稽古」方式があります。取りの前に受けをやる人たちが一列に並ぶ。取りは受けを一人ずつ投げていく。取りは順次交替する。  さらに過密状態の道場では「小隊」方式を採ります。稽古生を二つに分け、交替で稽古をさせる。
 他に、過密状態の道場で安全に稽古を行なう方法は多数あると思います。  毎日の生活のなかで、誰も災難とは無縁でいられません。いつ降りかかるかわからない災難に対して ― それが自分にむけられようと、愛する者にむけられようと ― それに備えた技術を身につけなければなりません。

 つまり、危険な場にでくわしたとき、適切に対処することはもちろん、それを予知し避ける能力をつけることです。そうした行動が習慣になるぐらいまで身につかないと、先の女性のような不幸に見舞われるのです。「隙あらば」と、災難は我々をねらっています。合気道によって油断のない心構えが養われ、それが私たちの生活に反映される・・・ それにはまず、畳の上の稽古を安全にすることが先決問題だと思います。

―― 季刊『合気ニュース』 №102(1994年1月)より ――

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