プロフ帳書いてよ

小学生の頃、周囲でプロフィール帳なるものが流行っていた。
おおよそ全てのプロフ帳に共通する記入項目は長所や短所、恋愛遍歴に自認する性格、血液型、生年月日、果ては住所、電話番号にいたるまで。就活のエントリーシートでもここまで色々聞かれない。
当時は何も考えていなかったが、もし渡したクラスメートにプロフ帳を外で紛失されたら…またはこちらが外で紛失してしまっていたらと考えるとゾッとする。
だが小学生の時分の私は日に日に増えていくページを眺めてはニヤニヤしていたものだ。想像力のなさとはかくも恐ろしい。

高校生くらいになってから、仲間内で「バトン」なるものが流行った。
「100の質問」「見た人強制!」みたいなあれである。ああ、いい加減歳バレそう。
今思えば似たような質問をいくつも答えて人の投稿も見て、何があんなに楽しかったんだかさっぱりわからなくなってしまったが、当時は嫌々ではなく楽しく回答していた記憶がある。

Twitterを始めてから、診断メーカーにハマった。
「貴方を飲み物に例えると」「貴方を動物に例えると」みたいなあれである。
タイムラインを眺めながら「◯◯さんは◯◯タイプか」「私は△△タイプだから□□タイプの◯◯さんと相性が良い、と…」など考えてはニヤニヤしていたものだ。
当時、筆者は大学生であった。
鬱屈とした学生時代ではあったが、この頃はオンライン上での他者との交流を心の支えに生きていた記憶がある。
相互フォローの方とオフラインで会わせていただいたことは殆どの場合はなかった。
だがお遊びとはいえ、もしこの診断で相性が上々だと言うのならば、もし何らかの歯車の狂いでこのフォロワーさんとリアルで出会えていたならば、きっと良き友人になれたのではないかという希望的観測が、確かに大学生の自分の精神を取り持っていた。これはある種の盲執であり狂気である。

さて、現在ではどうだろう?

残業後、筆者は灯りのない部屋に帰って来るや否や30%引きの惣菜と缶入りの安酒を開けながらふと将来に対するほの暗い不安を感じる。そんな時、私はオンライン上にある適職診断を片っ端から受けて回る。信憑性の程なぞ気にも留めない。

「あなたは調和に重きを置く典型的日本人タイプ!」
「貴方は人との関わりが苦手な職人気質」
「感性優先芸術家気質!」
「数字命の合理主義者タイプ」
めちゃくちゃだ。あらゆる性格診断が真逆の診断結果を提示してくる。
私は一体何者なのだ。いつになったら満足な結果を得られるのだ。私という人間に社会的な価値はあるのか。

思うに、私達は自分のことをよく知らなくて、また、自分の事を深く理解したいと欲しているのではないだろうか。

我思う?故に我あり?
自己理解を深めようとする度、より自分という人間が分からなくなってゆく。

こんなことなら「自意識wwwww 」なんて自分自身を茶化さずに、学生時代にもっと自己分析ガチっとくんだった…

あーあ。

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