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デヴィット・ハーヴェイ「<資本論>入門」

 マルクス・リバイバル(何回目?)が言われますが、自分も再び「資本論」にチャレンジしてみようと思い、その手始めに、ハーヴェイ「<資本論>入門」に挑戦してみました。


宇野理論の原体験

 学部時代には、いわゆるマクロ経済学やミクロ経済学と言われる「近代経済学」理論とともに、マルクス経済学もがっちり講義があり、僕自身は、それなりに面白く学ぶころができたし、成績も良かった。
といっても、マルクス主義に信奉した訳ではなく、価格メカニズム、商品交換成立の説明ロジックとしての労働価値説は、当時も破綻していると思っていた。
 後で知ったが、僕が勉強したマルクス経済学は、「宇野派」というレッテルが貼られた系統の理論で、労働価値説を重視していないものだったようで、それもあって、比較的すんなりと理解できたのだと思う。
(宇野弘蔵の「経済原論」自体は、同じ岩波全書の宮崎市定「中国史」とならんで、面白い本だった。今では、両方とも「古典」として、岩波文庫です)


マルクスの貨幣論は駄目だと思う

 あと、マルクスの資本論第1巻の最初の方で展開される貨幣論も、これは、全然駄目だと思う。マルクスの貨幣論を、歴史的展開をある程度抽象化したものとするのであれば、既に人類学や歴史学によって、マルクスの描いたようなストーリーで貨幣が人類史に登場した訳ではないし、交換手段、決裁手段が貴金属貨幣や非金属貨幣と、実物「通貨」との間をいったり来たりするのであって、単線的な貨幣発生のストーリーは描けないということが実証的に解明されている。

 また、現在の貨幣流通が成立する条件やその機能を分析するロジックとしてみても、既に金貨でモノやサービスを買ったりすることは日常生活ではあり得ないし、さらに、電子マネーのように本質的に債務・債権関係であったり、ビットコインのように供給制約が課せられた受容可能性だけがある情報であったりが、ロジックの射程に入っていないので、ほぼ無意味となっている。

 これは、「信用」について後々論じられる資本論の続刊で、貨幣論と信用論が統合されるはずであり、資本論第1巻では「まず、ここまで。続きは乞うご期待」になったからだと推測する。
 しかし、マルクスは、その続刊を完成させることができず、エンゲルスが草稿から編集した第2巻、第3巻もぐだぐだで、信用論と貨幣論が分離したままになっているので、マルクス自身にとっては、「死んでも死にきれない」ということかもしれない。

「資本論」に再度挑戦するために

 ということもあって、この貨幣論と労働価値説が展開される資本論第1巻の最初の部分をのりこえることができず、長らく、マルクス経済学とは縁遠くなっていた。
 とはいえ、昨今の日本経済の末期症状から、いわゆる近代経済学、特にマクロ理論と金融理論が「ブルシット」化していることから、別の視点で考えるヒントが得られればと思い、少しマルクス経済学でも見直そうかと思い直した。ただ、さすがに、「資本論」原文にすぐ当たるのもコスパが悪いと思い、評判の高かった、デヴィット・ハーヴェイ「<資本論>入門」に手を出してみた。
 予想に違わず、最初の商品論や貨幣論でつまずき、先を読み進めるのが苦痛になった。 

 しかし、この本の訳者解題で、アルチュセールが第10章の「労働日」の章から「資本論」を読み始めるがお勧めとしているとの指摘があったので、このハーヴェイ本についても、該当する章である第5章から再度読み始めたところ、これが面白い、面白い。

 マルクスが「何を論じたかったのか」の見通しが良くなり、その先見の明にも唸らされた。
 また、実体の時間的変化に耐えられない部分かもしれない機械制工場、つまり大規模製造業を中心に据えた議論も、マルクスのロジックのフレームを、仮説と論理展開に分解して、一旦、前提条件をサービス産業が7割となっている経済状況に置きかえて、マルクスのロジックを「下ろして」いけば、一つの方向性が見えてくる。
 また、サービス産業の中でもウェイトの大きいエネルギー産業や運輸業、通信業等は、実は大規模製造業と同じ構造だし、金融業や流通業については、そもそも別の資本類型として、マルクスも別に論じている。だから、サービス経済化した現代経済の分析にも適用範囲は存外広い。


労働管理の問題こそが資本論のコア

 2021年1月のNHK_Eテレの「100分de名著」は、かの齋藤幸平氏の「資本論」だったが、そこでも、貨幣論やハードな労働価値説については、ほとんど触れられておらず、もっぱら労務管理や資源管理といった、資本家又はそのエージェントとしての経営管理層による労働のコントロールといった面が強調されていた。

 これらの議論は、経営学や組織論、心理学等の分野で、実証的な研究が進んでいる中で、管理の問題点が指摘されてきた部分であり、その個々の知見は深まっていた。
 しかし、そこでは、価値増殖のみを本旨とする過程が、会社組織のパフォーマンスだけではなく、社会のマクロ構造にどのように作用するのかということは、視野の外だったはず。

 マルクスの議論は、150年前に既に、管理とマクロ構造の関係を一定のレベルで喝破していたし、それは現時点でも超克されたとは、とても言えない状況だと思う。


モダンな手法で階級闘争というロジックをリファイン

 マルクスの思想を土台に物事を考えて、変革を期したいと考えている人々は、「資本論」を論じるときに、この貨幣論や労働価値説にこだわることなく、改めて「階級闘争の弁証法」を、現在の労働法体系とどう関連づけるか、行動経済学の議論や、レッシグの「アーキテクチャ論」、ゲーム理論や、更には、デネットの自由意志VS決定論といった議論に結びつけて、アップデートするべきだと思う。

 ということで、資本論の最初の部分にあまり重きを置かず、この「階級闘争の弁証法」を重視して論じするハーヴェイ本は、第5章からであれば、1日に100ページは読み進められる面白い本でした。