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「サービス貿易」はなぜ難しいのか?  ~下流工程からのススメ~

 サービス貿易の発展パターンを、観光ではなく、インドのITサービス産業の成功例から抽出してみようという試論です。

サービス貿易の成功例「インドのソフトウェア産業」

 一昨年まで観光立国を目指して、様々な取り組みが行われた結果、旅行収支の黒字が出ていました。旅行収支とは、サービス貿易、それもお客様に日本に来ていただく形の「入り込み型」のサービス「輸出」の結果です。このように、今後、なんだかんだ言っても、日本の国際取引はサービス貿易にシフトしていくことが必要であることは論を待ちません。

 サービス貿易の成功例として近時大きく取り上げられることが多いのは、インドのソフトウェアサービス産業でしょう。インドの国際収支上の構造は、慢性的な貿易赤字をサービス収支の黒字で賄うという構造となっており、そのサービス収支黒字の「稼ぎ頭」がソフトウェアサービスの「輸出」であるとされているところです。


製品ではなく、プロセスサービス

 ソフトウェアサービスの輸出で成功とはいっても、当然インドがソフトウェア技術の先端国家であった訳ではなく、おそらく、ソフトウェア関連特許の数などで見れば、現在においてもインド自体がソフトウェアの技術開発の最先端を走っているという議論は成り立たないのではないでしょうか。確かに、米国のマイクロソフトがR&D拠点をムンバイに設置しているといったエピソードはあります。しかし、インドのソフトウェア産業は、基本的にプログラム言語のコーディングの「下請け」から発展し、企業の内部業務システムの「下請け」にビジネスドメインを広げています。
ただ、内部システムの下請けとはいえ、BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)として、独自のブランドイメージまで確立するレベルに達しています。

 この「コーディング・サービスの下請け」から、独自のブランド力のある企業向けサービス提供へという「脱皮のプロセス」をたどることは、日本のサービス産業の海外展開という点から示唆されるものがあるのではないでしょうか。

ローエンドからの戦略

 インドのソフトウェア産業のテイクオフの「きっかけ」は、簡易なプログラム修正が膨大な量必要となった「Y2K問題」であったとされており、その業態も、現在のようにネットで接続されたインドで作業をするというよりも、「オンサイト」方式として、欧米の情報システムの所在地で直接作業するという「派遣」形態が当初の業態でした。
 また、その業務内容も、単純なコーディング作業を低廉なコストで迅速に処理することに尽き、インドのソフトウェア産業はローエンドの下流工程から始まったということになります。まさに、典型的なクリステンセン流の「ローエンド型破壊戦略(破壊的イノベーション)」だったものと評価できるかと思います。

 このインドの経験を抽象化して纏めてみると、
 ・サービス提供の下請け、特に「企業向けサービスの下請け」から、
 ・派遣型(実は労働集約性の高いところ)で海外の市場に参入した、
ということであり、付加価値の低い枯れたサービスの「下請け派遣」というモードから、目下のインドにおける付加価値の高いBPOビジネスのような越境取引のモードへと業態が進化したということです。


サービス貿易の相移転

 これをGATS協定上の「サービス取引の4つのモード」の用語に照らせば、「第4モード:自然人の移動」から、国内の直接雇用に結びつく「第1モード:越境取引」又は「第2モード:国外消費者」へと相移転した言うことが出来ます。
 ここから、サービス貿易の相移転というサービス輸出の発展の道筋、あるいは一つの「定石」を描き出すことが出来るのではないでしょうか。

 要すれば、サービス分野の海外進出における「肝」とは、破壊的イノベーションによる海外市場への参入と業態の動態的変化だということです。海外でのサービスビジネスの発展をマクロな視点で企図する場合には、現在のビジネスモデルをそのまま海外とのサービス取引に持ち込むのではなく、この「定石」を促進するということから始めるべきなのかも知れません。