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10年前。自分の「3.11」を思い出してみる

※記憶の範囲で、当時を思い出してみました。誤認や混同もあるかもしれず、その点をご了承ください。

[2011年3月11日午前1時頃]布団に入り、スマホでYouTube。前日の3月10日に坂上二郎さんの訃報を知り、コント55号の動画を立て続けに観た。スマホの中の元気な二郎さんを観ながら「この人はもういないのだなぁ…」と寂しく思う。

[同日午前12時頃]天気は快晴。東京都中野区にある演劇雑誌の編集部へ。

[同日午後14時頃]演劇公演を観るため、中野区内にある小劇場へ。開演時刻は14時30分。

[同日午後14時45分頃]上演中なので時計は見ていませんが、体感や、後の情報と照らし合わせると、この時間帯。最初は、カタカタと客席が揺れていることに気付く。音だけでなく「いま揺れている」と視認できる程度に実感。でもそれが地震に結びつかず、呑気な話ですが「隣の人が貧乏ゆすりをしているのかな?」と思う。その後、天井の照明機材なども揺れだし「これは地震だな」と。舞台上の俳優たちが演技を続けるなか、場内の扉がバンと開き、制作さんが飛び込んできた。「一旦中止します!!」とアナウンスがあり、ことの重大さに気付く。避難誘導され、劇場の外へ。中野の街は見た目変わらず、春らしい快晴。ただ、建物の外へ出ている人は多かった。皆さん口々に「怖かったですねぇ。困りましたねぇ」などと話している。

[同日午後15時15分頃]制作さん曰く「これからネットで情報収拾を行い、上演を再開するか中止するかを判断します。申し訳ありませんが、このままお待ちください」とのこと。僕の記憶の範囲内で、上演中の演目がストップしたのはこの日が初めて(更に2021年現在でもこの1回のみ)。この時、制作さんは非常にしっかりした対応をして下さったと思う。結果、上演は中止に。余震に備えて屋外でのチケット払い戻し作業が始まる。僕は招待扱いで入場したこともあり、挨拶をした後、そのまま編集部へ帰社。

[同日午後15時30分頃]編集部へ戻ると、入口の扉は開けたままで(おそらく余震対策)、中に誰もいなかった。とりあえず自分のPCを開き、ネットニュースを確認。この時、電話はほぼ通じず。ネットニュースもあまり更新されていなかった(←今思えば当然ですが)。動いていたのはツイッターで、内心「ツイッターすごい」と思う。地震に関する情報、知人たちの「自分は元気です!」というツイートに紛れ、「都内の自宅で倒れた家具の下敷きになり、助けを求めている」というデマツイートを見つけ、とっさにリツイートしてしまう。その時はデマだと思わなかった。ただただ、TLに流れる情報を見つめていた。でも、大きな地震があったこと以外、詳細な情報はあまり分からない。

[同日15時45分頃]この日、打ち合わせのため来社したライターさんが編集部へ戻ってきた。話を聞くと「打ち合わせを終え、JR中野駅のホームで電車を待っている時に地震があった。その後、電車が来る様子もなく、とりあえず編集部へ戻ってきた」とのこと。それは大変でしたね、と話しているうちに、編集長とスタッフが戻ってくる。「近所の小学校の校庭に避難していた」という。お茶をいれて「これからどうしましょう?」的な話をする。雑誌としては、数日前に最新号を発売したばかりで、比較的手の空いている時期。編集長が「詳しい情報もないし、とりあえず仕事しよう」と言い、そのまま編集部内で出来る仕事を。ラジオをつけると、比較的普段どおりのプログラムを放送しているように聞こえた。

[同日17時頃]都内の電車はほぼ運休らしい。編集長が「明るいうちに帰ろう」と言い出し、各々適当なタイミングで帰ることに。僕が気にしていたのは、夜の観劇予定をどうしよう? ということ。この日は昼公演と夜公演に各1本ずつ観劇予定を入れていた。先方へメールすることはできるが、今日は問い合わせメールで溢れかえっているだろうし、連絡することが逆に迷惑になるのでは? と考える。編集長に相談すると「連絡しなくていい。こんな日は誰も芝居を観に行かない」と断言。そりゃそうか…と思う。その団体を観るのは初めてで、何かを意識した訳ではないが、結局その後、この団体の作品を観ることはなかった。

[同日18時頃]編集部を出て、帰宅することに。当然徒歩。ですが、徒歩帰宅は日常的に行っていて、道も知っているので問題なし。実は、編集部で深夜まで仕事をして、終電後に徒歩で帰ることがよくありました(終電を気にしなくて良いので、逆に仕事がはかどった。徒歩1時間の距離で、運動に丁度良かったし)。いざ歩き出すと、同じように徒歩で帰宅する人が沢山いて、妙な安心感も感じたり。自転車屋さんの前を通ると、急遽自転車を買い帰宅しようとするスーツ姿の男性がいて、なるほどなぁと思う。そうすると、このまま日常と同じ行動では不用意な気がしてきて、営業中のラーメン屋さんに入り、とりあえず夕食を食べておくことに。ラーメン屋さんはガラガラでした。

[同日午後19時30分頃]自宅に到着。ドアを開けるまで内心ドキドキしました。都内でも、食器棚や本棚が倒れたという情報がツイッターに流れていたので。結果、室内の変化はほとんどなし。オーディオの隣に積んであったMDが床に散らばっていた程度で、ガラス製品などの破損もなし。築年数の長い木造アパートが頑張ってくれた! と感謝。帰宅途中に夕食を済ませたこともあり、特にすることもなく、ツイッターをみたり、ネット検索をしたり。茨城の実家へ電話してみるも、コールはすれど誰も出ず。その点はやや心配だけど、ネットに疎い両親なのでメールもやっておらず、とりあえず明日の朝、また電話してみようと思う。

[同日午後21時頃]やることがなく、かなり早いけれど、布団へ入ることに。今日が金曜日で、明日明後日はお休み。……何というか、それも含めてやることがない。土日の観劇予定もなく、安否確認のため茨城へ帰ることも考えたが、そもそもJRが動いていない。「待機、かぁ」と思う。布団の中でYouTubeを思い出す。開けると、おすすめとしてコント55号の動画が出てきた。「…二郎さんは今日の地震を経験せずに亡くなったのだなぁ」と、ふと思う。

[2011年3月12日午前7時頃]当たり前かもしれないが、あまり眠れなかった。カーテンを開けるとこれまた快晴。太陽の光が、とてもとても、有り難く感じたことを、よく覚えている。

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