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My feelings for ARCTIC MONKEYS

2014年、高校3年生の夏
SUMMER SONICのヘッドライナーが発表された。私とarctic monkeysの出会いだった。
受験勉強の日々。帰りの電車は出演者の音楽をbgmに地図帳を読むのが日課だった。
ふとヘッドライナーのarctic monkeysを思い出した。なんだろ北極の猿たちって、今夜聴いてみよ。なんとなく、そして初めて耳にしたのは忘れもしない" I wanna be yours”。
なんだこのロック、、、。
戦慄した、化け物を発掘してしまった、震えた。あの感覚は今でもこの曲を聞くたびに思い出す。 しかし夏以降はプレッシャーに精神をすり減らし、音楽は聞こえなくなった。同時に、私の中でアクモンの存在は次第に薄れていった。


月日は流れ、大学2年生になった。
サークル活動で洋楽を使用することもあり、spotifyを愛用するようになった。音楽を漁る日々、再びarctic monkeysに出会うまで時間はかからなかった。深い重低音、濃いイギリス訛り、捻くれた恋愛観、よく聴くアーティスト関連からすぐに挙がってきた。もうずっと聴き続ける、手放さないと決めた。会いに行くと決めた。しかしなかなかその機会は訪れなかった。新譜もあがらない、フジにもサマソニにも来ない、コロナが来た。その間、同じように好む友人もほとんど現れなかった。


そして待ち望んだ日が到来した。
アルバムがリリースされ、アジアツアーが発表された。ヨーロッパツアーや北米ツアーの発表から時間があき、また来ないのかと嘆く日もあった。誰も誘わないと決めていた。絶対に1人で行く。本当に彼らを好きな人たちと場を共有したいと決めていた。


2023年3月12日 東京ガーデンシアター
この9年間、arctic monkeysと私の周りには素晴らしく感動的なことだけではなく、思い出すことさえ嫌なことも、本当に様々なことがあった。
念願の生の演奏を聴きたいという高揚感に加え、そこで何を感じるかが怖い、何を思い出してしまうのか怖い。それがその日の正直な感情だった。

開演時刻から5分間の暗闇、そして突如始まった"sculptures Of Anything Goes”。
一音目から感動なのか何ものか分からない想いが込み上げてきた。涙を流していた。初めて流す類の感情だった。その日出会ったばかりの隣のイギリス人はそれを見て頷いていた。
それすらもあたたかかった。
ライブ前のわたしの心配はちっぽけなものだった。ライブアクトはその全てを突き放し、絶望も希望も夢も、その場の人間ひとりひとりを優しく包摂するかのような壮大なものだった。

1時間半は夢のように過ぎ去った。
アンコール1曲目"Big Ideas”で夢の終わりが近づく儚さを感じ、最後の曲"R U Mine"で終わりを嘆く痛みを感じた。

UKロックを一緒に熱唱できる人たちがこの国にいたことも、煽りのない純粋なロックも、バラードに体を揺らす人が大勢いることも、アレックスの粋な表情も、セクシーな歌声も、ジェイミーの繊細な指さばきも、マットの幸せそうな顔も、ニックのCDにはない重厚な音も、アレンジも、何よりこの会場の皆arctic monkeysが好きでここに集まっていることが幸せと感じた。
終演後、皆で歩く帰り道は多幸感に溢れていた。


私と音楽はいつでも負の感情で寄り添っていることが多い。でも孤独なこの空間は愛に満ち溢れていた。ロックスターはまだこの時代にも存在していた。それを好む人たちもまだ存在し、また集まる場所があると確信した。いつかのその日のために、arctic monkeysはまた1人で聴き続けると決めた。